出版社内容情報
医師で詩人の丸山は臨時召集を受け、軍医少尉として出征。北ビルマ・ミイトキーナでは、司令官・水上源蔵少将に対し死守が命じられる。しかし少将は残存将兵への転身命令を絶筆に自決。部隊は全滅を免れるが、その後は「中国の雲南からビルマをよぎって、タイのチェンマイまでの泥まみれの敗退」となった……。
壮絶を極めた南方戦線から奇跡的に生還した著者は、その記憶を書き残す決意を固めるには四半世紀の時間を要したと述懐している。一九六九年から西日本新聞に連載した「月白の道」は、中国・雲南省からミャンマー、タイへと敗走を続けた戦場の記録である。
第一篇には、「私たちはおたがいに心の虫歯をもっていたほうがよい。…でないと、忘却というあの便利な力をかりて、微温的なその日ぐらしのなかに、ともすれば安住してしまうのだ」とある。声高に叫ぶのではなく感情を抑えたさざ波のような断章が連なり、野呂邦暢や川崎洋らが賞賛する詩的な香りの漂う孤高の戦記文学となった。
都合三度刊行された『月白の道』の「序」「あとがき」に加え、二度目の刊行時に書き加えられた「南の細道」、文藝春秋に寄稿した「軍神を返上した水上少将」、および、私家版『定本 丸山豊全散文集』から戦争・戦友に関する11篇を増補した、戦争散文の集大成。
さらに、野呂邦暢、森崎和江のエッセイ、川崎洋による詩集の解説、映像制作者・木村栄文の「『月白の道』に寄せて」を収録。
内容説明
一九四四年五月、最前線の北ビルマ・ミイトキーナに送られた著者を待ち受けていたのは、守備隊の全滅、そして雲南を経てチェンマイに至る泥まみれの敗退行だった…。「南の細道」「軍神を返上した水上少将」ほか十篇を含む、軍医詩人による戦記文学の集大成。
目次
1 月白の道(虫歯;雲南の門;石の小道 ほか)
2 南の細道(軍神を返上した水上少将;傷痕;脱出 ほか)
3 丸山豊をめぐって(丸山豊先生のこと 愛についてのデッサン(野呂邦暢)
常凡と愛の重力(川崎洋)
『母音』のころ(森崎和江) ほか)
著者等紹介
丸山豊[マルヤマユタカ]
1915(大正4)年、福岡県生まれ。医師、詩人。37(昭和12)年、九州医学専門学校(現・久留米大学医学部)卒業。40年から陸軍軍医として中国、フィリピン、ビルマを転戦。46年の復員後、久留米市にて診療所を開き、81年に福岡県小郡市にて豊泉会丸山病院を開業。医師として働く傍ら詩作を行う。47年、詩誌「母音」を創刊。谷川雁、川崎洋ら九州の詩人たちが参加した。67年、フランスの文学者アラゴン主宰の「フランス文学」誌上で“十人の日本詩人”に選出される。73年に第1回久留米市文化賞を、74年に第33回西日本文化賞を受章。89(平成元)年に日本現代詩人会主宰の先達詩人顕彰を受ける。同年、アラスカのアンカレッジにて客死(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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