中公文庫<br> 幽囚回顧録

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幽囚回顧録

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  • サイズ 文庫判/ページ数 320p/高さ 16cm
  • 商品コード 9784122066908
  • NDC分類 916
  • Cコード C1121

出版社内容情報

インドネシアの軍政下で自治を認め、ラバウルでは自給自足を実現し、リベラル派で知られる軍人が理不尽な戦争裁判に立ち向かう。オランダ法廷では無罪になったが、オーストラリアの法廷では禁固10年が宣告されていたため、巣鴨プリズンに移送されたが、部下と命運をともにしたいとマヌス島の刑務所に残留した。巻末に伊藤正徳のエッセイを収録

内容説明

インドネシアの軍政下で自治を認め、ラバウルでは自給自足を実現し、リベラル派で知られる軍人が理不尽な戦争裁判に立ち向かう。オランダ法廷では無罪になったが、オーストラリアの法廷では禁固十年が宣告されていたため、東京に送還されるも、部下と命運をともにしたいとマヌス島の刑務所に残留した。巻末に伊藤正徳のエッセイを収録。

目次

第1部 ラバウル幽囚録(戦い終る;豪陸軍刑務所;散りたる若ざくら;豪軍の判決)
第2部 ジャワ裁判の記録(オランダ軍蘭印刑務所;インドネシア自爆隊員;チビナン監獄の窃盗中隊;霊前にそなえる;オランダ軍軍事裁判;裁判の記録(陳述書)
裁判の記録(弁護弁論と再審裁判)
死刑から無罪へ(判決))
第3部 マヌス島回想録(マヌス島豪海軍刑務所;望郷の歌(マヌス島の南東四百キロにある、ラバウル時代の回想)
獄内の戦友愛
反省録
スカルノ大統領の回想
戦争裁判の概観(あとがき))
及第した陸軍大将―今村均は死刑を免かれた(伊藤正徳)

著者等紹介

今村均[イマムラヒトシ]
1886(明治19)年、仙台生まれ。1907(40)年陸軍士官学校卒業、少尉任官。15(大正4)年陸軍大学卒業。31(昭和6)年参謀本部作戦課長、32(7)年歩兵第五十七連隊長、35(10)年歩兵第四十旅団長、38(13)年陸軍省兵務局長、第五師団長、40(15)年教育総監部本部長。41(16)年広東方面軍司令官、ジャワ方面軍司令官、42(17)年ラバウル方面軍司令官、43(18)年陸軍大将、46(21)年4月ラバウル戦犯者収容所に入所。47(22)年5月オーストラリア軍裁判判決(禁固10年)、ジャワに移送される。48(23)年死刑を求刑されるも、のち無罪。50(25)年1月東京に送還されるが、2月マヌス島服役を申し出て、同島の豪海軍刑務所に移送、53(28)年同刑務所の廃止により他の戦犯とともに東京巣鴨拘置所に移管された。54(29)年刑期を終え出所。日本に帰国後、世田谷自宅に三畳の小屋で自ら幽閉し質素な生活を送り執筆を続ける。68(42)年死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

金吾

27
昭和の陸軍大将の中で身の処し方が賞賛された数少ない人の終戦から戦犯にかけての回顧録です。指揮官として部下に対する心遣いや責任感は端々に表れなかなかできるものではないと思いながら読みました。部下に真摯に向き合うことを建前ではなく実践した人と感じました。2024/10/15

さきん

24
大阪出身でインドネシアにおける軍政で名高い今村均陸軍大将の手記。主に戦犯としての服役における経験について綴られている。聖書、嘆異抄を道徳の礎に世界の宗教の本質は一つという信念を持って、裁判や対人関係に臨んでいる。最後まで部下とともにあることを志向し、1950年の半ばに至るまでマヌス島にて服役した。敗北に至った経緯や精神論に傾く危険性や反省、インドネシア独立に至る内容などは大変勉強になる。2020/02/25

CTC

13
19年2月中公文庫、本書底本は66年秋田書店刊(獄中で書き始め、出獄4年後の58年に書き上げ、様々に発表されたもよう)。ジャワの善政で名高い今村均手記。主に裁判と獄中の機微を記すが敗戦の“反省録”も収録している。 反省録は現代の史家が挙げるような事柄を順序立てて、しかも平易な言葉で記されており、誰にでも理解しやすいものになっている。今村は陸大27期首席の秀才で(陸士は東條の二期後輩だが陸大同期)、戦陣訓の策定や当時の流行歌の作詞などにも関わっている。しかし真骨頂は現場での統帥にある。やはり名将ですなぁ。2020/01/25

rkasai

2
今村均方面軍司令官、格好良すぎます。まさに人の上に立つ男、そして、日本を代表する武士道を体現する男。第二次世界大戦後の「裁判」の様子がイメージできるとともに、前線での戦いもシンガポールとインドネシアなどでは様相が違ったこともわかりました。幕僚や上下と意見が合わずとも飽くまで自分の意見を主張する。結果東条英機と同期の陸大での優等生だとしても、幕僚に担がれることなく、中将以上に「出世」しなかった。これだけのできた人であったためトップに立った未来もみたいものだが果たしてどうなったものか。人物の指針になります。2020/12/24

荏苒 byn

1
軍事裁判長が今村贔屓で馘首になり死刑判決にも泰然、やがて無罪。東京へ送還されたが、部下の残るヌマス島服役志願(昭和25年)。28年巣鴨、29年出所。世田谷の3畳間で質素な生活。ヌマス島へは、野菜の種を持参して窮状を助けた(米作将軍の綽名)。結核で瀕死の兵が生き返った話。日本人は器用さで、豪将兵の酒を入手していた話などエピソード。大東亜戦争と作った戦陣訓の反省等エセー。陸軍大将の筆頭とされるような武士の鏡の軍人。もし死刑なら、スカルノ精鋭部隊が急襲・救命する計画の裏話。2019/04/13

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