内容説明
明治末から大正にかけて『中央公論』主幹を務めた滝田樗陰。低迷する雑誌に文芸欄を設け文壇の登竜門にまで押し上げ、吉野作造を起用して大正デモクラシーの時代を招来した、名編集者とその時代を描く。巻末に吉野ほか谷崎潤一郎、芥川龍之介、菊池寛、山本実彦による追憶記を収録。
目次
序章 樗陰とその時代
第1章 文芸欄を設けるまで
第2章 新人の発掘
第3章 嶋中雄作と波多野秋子
第4章 熱と意気の人
滝田樗陰追憶記
巻末エッセイ 父・滝田樗陰の思い出
著者等紹介
杉森久英[スギモリヒサヒデ]
1912(明治45)年、石川県生まれ。小説家・評論家。東京大学国文科卒業。一時、中学校の教師となるが、中央公論社入社。戦後、河出書房で「文藝」編集長を務める。53年、短篇小説「猿」が芥川賞候補になったのを機に作家活動に入る。主な著書に『天才と狂人の間』(直木賞)、『能登』(平林たい子文学賞)、『近衛文麿』(毎日出版文化賞)などがある。97(平成9)年没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ステビア
16
中央公論の社史として書かれたもののうち、樗陰に関する記述を抜き出して作られた本。山本実彦のように情熱的で頑固な人だったことがわかる。2020/08/04
冬見
10
大正文壇に君臨した伝説の名編集者・滝田樗陰の生涯を描く。西本願寺に属する若い僧侶たちの機関誌『反省会雑誌』で外国事情を紹介した「海外新潮」欄が『中央公論』の前身であったという話は初めて知った。滝田樗陰という人物は明治大正文学史において、何度も出会う名前。ずっと興味があった人物だったので、本書を見つけ迷わず手に取った。彼は良い"目"を持っていた。自分が良いと思ったものを真っ直ぐに愛する力に恵まれ、自分の選び取る能力を信頼した人だったように思う。欠点も多いが憎めない。多くの人に愛され、仰ぎ見られた生涯だった。2019/05/25
本命@ふまにたす
1
大正期の雑誌「中央公論」の「名編集者」の評伝。「中央公論」という雑誌の性質が今とは少し異なることや、当時の文学者との交流が具体的に描かれているのが印象的。2021/07/01
rbyawa
0
h081、現代も残る中央公論がもとは本願寺の機関誌だったというところは面白かったものの、そういえば言論界を牽引する雑誌とまで言われていた部分は略されていたのか…(政治扱ってる本で見ます)。小説そのものが緩い、部数は増えても品のないものと思われるのもそこが語られてないとわかりにくくないのかな? ともあれ、小説を載せ、大正デモクラシーに肩入れし、常に大袈裟に感情表現した編集長の本で中央公論の本としては実に良かったんですが、同時代語りとしてはちょっと不満が残るかな…とにかく著者さんには小説が最上の存在なのね…。2017/11/29
ラム
0
明治から大正にかけて一世を風靡した名編集者の生涯 中央公論社の草創期から低迷する雑誌「中央公論」を大雑誌に育て上げた樗陰の43年生涯を描く 全盛期、樗陰の乗った人力車が家の前に停まっただけでその作家に箔が付くといわれた 雑誌に文芸欄を設けることで飛躍的に売り上げを伸ばす 総合雑誌でありながら文芸に過度に力を注ぐ 売れる作品を見極める嗅覚と、執念 眼光鋭い感情家、節を曲げず、人に強いるも憎めない 体温の高さと鼻息が伝わってくる 著者は樗陰没後の入社で面識はないが、往時を知る老大家が懐かしく話す姿に接したとか2020/05/29