内容説明
「日本人であること」を探究する第一歩とは…。日本人の内にあり、必然的に我々本来の在り方を見失わせるもの―本居宣長が「からごころ」と呼んだ機構の究明を通し、日本精神を問い直す。戦後世代の大東亜戦争論として、論壇に衝撃を与えた初期論考を含む、鋭く深い思索の軌跡。
目次
からごころ
やまとごころと『細雪』
『黒い雨』―蒙古高句麗の雲
大東亜戦争「否定」論
「国際社会」の国際化のために
著者等紹介
長谷川三千子[ハセガワミチコ]
昭和21年、東京都に生まれる。44年、東京大学文学部哲学科卒業。50年、同大学大学院博士課程中退。東京大学文学部助手などを経て、埼玉大学教授。平成23年退官、同大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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双海(ふたみ)
14
本居宣長が「からごころ」と呼んだ機構の究明を通し、日本精神を問い直す思索の書・・・。2014/06/23
sk
5
日本人は外国の文化に侵食されながらも、それを無視してしまう心理的機構をもっている、という刺激的論考。2017/10/14
カインズ
4
【心の基本をどこに置く】訓読によって、元が中国語であることを完全に無視する形で漢字を摂取したがために、日本人の心のあり方の基本が中国風になってしまっているという本居宣長の「から意」に関する指摘には、日本人のグローバル病の根源は、そこまで遡るのかと思わされた。日本で言うインターナショナリゼーションが外国では通じないのみならず、internationalizeという言葉の背後におぞましいものがあるという国際化に関する論考も読み応えがあった。日本の模倣による発展には、やむを得ない面もあったが副作用も大きかった。2014/07/21
Lieu
2
私は精神論的な護憲ありきの護憲論にも改憲ありきの改憲論にも与しないので、著者が少しだけ憲法に触れる箇所には賛成しないが、自国を守るために漢字を取り入れつつも、それを中国語としてではなく全く独自に読むところに日本文化の日本らしさがある、明治の「西洋化」もまさに西洋から自国を守るためであったというのは、確かにそうだと思う。そこに悲哀を感じる人がこの国では「右」と呼ばれ、嬉々として日本語を使えばよいところに英語や洗練されない翻訳語を使い、便利で快適な生活のみを求めるのが戦前も戦後もごく普通の日本人なのだろう。2022/09/12
寛理
1
長谷川は右翼おばさんと思われているが、普通にポモと捕らえた方がいいだろう。「からごころ」を読むとなるほどとは思うが、あとはそれを前提にして保守っぽい説教を繰り返してるだけなので、なんで評論家をやらなきゃいけないのかという疑問符がつく。細雪が好きなだけのなら、本など書かず、普通に黙って主婦やっときゃいいんじゃないの感。2021/06/13