内容説明
結婚三年目、三十歳という若さで、朋子は逝った。あまりにもあっけない別れ方だった―男手一つで娘・美紀を育てようと決めた「僕」。初登園から小学校卒業までの足取りを季節のうつろいとともに切り取る、「のこされた人たち」の成長の物語。
著者等紹介
重松清[シゲマツキヨシ]
1963年岡山県生まれ。早稲田大学教育学部卒業。91年『ビフォア・ラン』でデビュー。99年『ナイフ』で坪田譲治文学賞、『エイジ』で山本周五郎賞、2001年『ビタミンF』で直木三十五賞、10年『十字架』で吉川英治文学賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
zero1
276
失って、大切なものだと気づく。それが幸せ。再読だが何度も泣けた。重松は読者の琴線に向け次々と矢を放つ。それが突き刺さって涙腺に達する。特に同窓会と8ミリの場面は泣けてページが止まる。結婚3年で30歳の妻を病死で失った主人公が母の記憶が無い娘とともに成長。義父母や義兄夫婦、ケロ先生をはじめとする脇役の存在が光る。誰かが記憶している限り、死んでもその人は生きている。妻不在の設定は「とんび」に似ているが、私は本書のほうが共感できる。【鬼の村松】が放った言葉は重い!これぞ重松節!今年、山田孝之主演で映画化予定。2020/02/10
yoshida
231
妻が急逝し、男手一つで娘の美紀を育てる決意をした健一。美紀を保育園に送る場面から物語は始まる。父娘を優しく包む義理の両親や、義兄夫婦。毎日の何気ない出来事が美紀の成長とともに描かれる。実母の不在という現実。母の日の課題という、小学校の配慮の乏しさ。父娘は不器用に、懸命に、そしてしなやかに日々を生きる。訪れる親しい人との別れや、新たな出逢い。新しく幸せを掴む為に、一歩踏み出す健一。普通の家族の何気ない日常にこそ、沢山のドラマが詰まっている。幸せの形も家族それぞれ。人生はその時々で描き直す事もできるのだ。2016/08/15
修一郎
214
とんび読んでからこっちへ。こっちは現代版,美紀ちゃんの10年の成長を描きながら育てたお父さんさんが次のステップへと踏み出すお話だ。美紀ちゃんを愛するお父さんにもジンと来たけれども義父からの視点が新鮮。お義父さんは義理の息子の幸せと孫の幸せを同じように考えられる度量の大きい人だ。孫に見守られながらの最期迎えられたらいいよね。「こんなにも愛されて育ったということを憶えておいてほしい」最期のセリフがとんび(の和尚さん)と同じだった。山田孝之が主演で伊藤沙莉がケロちゃん先生だって。映画も観ます。2020/11/17
佐々陽太朗(K.Tsubota)
209
親にとって子どもは宝ものだ。子どもの成長の思い出もまたかけがえのない宝ものである。その思い出はたいていの場合、夫婦で共有するものだ。しかしそれができなかったとしたら。子どもの成長の責任を一身に背負った重圧、子どもとの思い出を共有できなかったさみしさ、子どもが成長していく姿を見守るよろこびを自分だけが感じていることへの申し訳ないような気持ち、そうしたものが胸にせまって遣る瀬ない。ここに確かな幸せがあり、その幸せを守ろうとするひたむきな真心があった。温かい物語でした。『とんび』を読んだときと同じだけ泣いた。2020/04/08
absinthe
207
妻と死別し、男手一つで娘を育てる話。悪くないし感動もしたが読みたい本とは違っていた。家庭の事情で苦労する男の話で、父と娘の絆よりも父とそれ以外の親戚や会社の同僚との間の軋轢や克服に重きが置かれている。家庭内の様子や、父から見た娘という話題は多くない。後かたずけのルール、朝夕のご飯のルール、洗濯は?買い物は?様々な助け合いが必要なはずだが父と娘の生活の様子に関して本書は薄い。2021/07/09