内容説明
二十万前後の軍勢が東西に分かれて雌雄を決し、その後数百年にわたって影響を与えた関ヶ原の戦いは、日本人ひとりひとりの運命を変えた―徳川家康、石田三成ら諸大名の生き様や、徳川時代に爆発的な繁栄をみせた江戸の人間模様など、歴史のなかの群像を論じた人物エッセイ二十七篇を収録。
目次
家康について―徳川家康
徳川家康―徳川家康
『覇王の家』あとがき―徳川家康/徳川家
家康と宗教―徳川家康
要らざる金六―金六/徳川家康
ふたりの平八郎―本多忠勝
関ヶ原は生きている―井伊直政/井伊直孝/井伊家
関ヶ原私観―石田三成/井伊家/島津家/毛利家
毛利の秘密儀式―毛利輝元/毛利家
骨折り損―毛利家/吉川広家/吉川経幹〔ほか〕
著者等紹介
司馬遼太郎[シバリョウタロウ]
大正12年(1923)、大阪に生まれ、大阪外語大学蒙古語学科を卒業。昭和34年『梟の城』により第四十二回直木賞を受賞。42年『殉死』により第九回毎日芸術賞、51年『空海の風景』など一連の歴史小説により第三十二回芸術院恩賜賞、57年『ひとびとの跫音』により第三十三回読売文学賞、58年「歴史小説の革新」により朝日賞、59年『街道をゆく―南蛮のみち1』により第十六回日本文学大賞(学芸部門)、62年『ロシアについて』により第三十八回読売文学賞(随筆・紀行賞)、63年『韃靼疾風録』により第十五回大佛次郎賞を、それぞれ受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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レアル
54
一番の興味は冒頭の、今まさに大河ドラマの「直虎」でこの辺りを放映している家康について。信長の家来ではなく同盟という形で結ばれているにも拘らず、信長に頭が上がらない。そう律儀なのだ。タヌキ親父と呼ばれるようになったのは晩年で~♪と続く司馬氏観なのだが、読んでいて「阿部サダヲ氏」版の人好さそうな家康が目に浮かぶ。またその後に続く家康の考察にも納得。他、シドチと白石や関ケ原観も良いし、ラストの高田屋嘉平を描いた『菜の花の沖』のあとがきも懐かしい。こういう稿を読むと、著者の作品の振り返りのようで読んでいて楽しい。2017/12/05
AICHAN
42
図書館本。家康についての一文の中で司馬さんはこう書いている。「“若いころの苦労は薬になる”というのは、よほどの大才の場合か、たまたま成功した人のいうことで、苦労というのはほとんどのばあい、人間を小さくするほかは役立たない」と。まったく同感。司馬さんの年齢で(もう亡くなられたが)こう言える人は少ないのではないか。2019/01/25
かず
16
徳川家康を主に取り上げた関ヶ原前後から高田屋嘉兵衛の江戸時代後期迄を取り扱う。どの逸話もとても興味深い。通して感じたことは、「待てば海路の日和あり」のことわざだった。幼少期からピンチの連続だった家康が辛抱に辛抱を重ねて、地道に信頼を積み上げて、最後に天下を取る。片や三成。身上に身合わぬ責任感と深い報恩の意志が彼を押し潰す。そして、周りの者も没落する。一凡人である私も、生き方次第で周囲の者に悪影響を与えてしまう。「努めねば」、そう心に深く刻んだ。2019/09/14
時代
12
ここに来てちょっとトーンダウン。個人的に。徳川家康のくだり。やはり好きになれない。関ヶ原のくだり。普通勝つでしょ、西軍が。高田屋嘉兵衛のくだり。油とニシンと昆布と浄瑠璃。とはいえまだまだ邂逅続けます△2016/10/27
剛腕伝説
8
司馬さんの残した歴史上の人物エッセイの中から、徳川家康~高田屋嘉兵衛迄27編を収録したもの。徳川家康の遠祖が乞食坊主だった事。短編小説にもした、いらざる金六の話。 関ヶ原で運命を変えられた人達・井伊直政、石田三成、島津家、毛利家、吉川家の事。白石の聡明さと学問に対する姿勢、中でもイタリアの宣教師シドチの不可解な日本語を理解した白石の頭脳礼賛。名もない庄屋が残した記録、村の心中等の詳細。天才・柳沢基園が残した女郎に対する激称の書。高田屋嘉兵衛に対する筆者の強い思い入れ等々、色々な考察が楽しかった。 2019/10/10