中公文庫
比島から巣鴨へ―日本軍部の歩んだ道と一軍人の運命

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  • サイズ 文庫判/ページ数 339p/高さ 16cm
  • 商品コード 9784122051003
  • NDC分類 289.1
  • Cコード C1121

出版社内容情報

昭和の戦争を語る上で欠かせない武藤章が、自身の生い立ちから、日米交渉の経緯、南方戦線の詳細な経過、巣鴨プリズンで絞首刑に処されるまでの日々を克明につづる。

内容説明

石原完爾に認められ関東軍参謀として中国戦線を指導したのち、陸軍軍務局長として日米交渉を担当。戦争末期には南方に派遣されフィリピンで終戦。東京裁判で死刑判決を受けた武藤章が、自身の生い立ちから絞首刑に処されるまでの日々を克明に綴った手記。

目次

経歴の素描(予の生立;中小尉時代;教育総監部時代;参謀勤務時代;軍務局長時代―日米交渉から太平洋戦争へ;師団長時代―スマトラ警備;比島第十四方面軍参謀長時代―山下大将とともに;結言)
比島戦の実相(レイテ作戦;ルソン作戦;終戦)
巣鴨日記(1)判決を待つ間
巣鴨日記(2)判決の後
被死刑宣告者の手記

著者等紹介

武藤章[ムトウアキラ]
1892年(明治25)熊本県に生まれる。陸軍士官学校を経て、1920年(大正9)陸軍大学卒業。陸軍軍務局長、近衛第二師団長(スマトラ・メダン)、第14方面軍(フィリピン)参謀長等を歴任。陸軍中将。戦後、東京裁判で侵略戦争の共同謀議等の罪により死刑判決を受け、48年(昭和23)12月23日に巣鴨プリズンで刑死(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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こまったまこ

6
東京裁判で絞首刑に処された陸軍軍人の武藤章が巣鴨プリズンで書いた手記と判決前後の日記。公開を前提に書かれていないのでかなり率直に鋭い視点で日本政府や国民、連合国を批判している。頭脳明晰な上に文学的教養もあるので文章も読みやすく心に訴えかけるものがある。新聞の堕落や政治家の無能さ、国民の無知蒙昧さを嘆く一方草花や昆虫に向ける視線が柔らかい。他の同居者達に対する感情も批判的でありながら温かみを感じた。検事や判事は人間の屑だから結婚相手には相応しくないと娘に助言しているのが面白い。死刑宣告後の手記は悲しかった。2015/10/28

くらーく

2
なぜ、武藤中将が死刑なのかねえ。まあ、連合軍も良く分からないところもあるのだろうけど。 戦場で残虐行為は、命令で行われているとは思えないけどなあ。状況が人を狂わせると。まあ、歯止めがきかなかったのは、日本人の国民性なんだろうけど。まあ、それはドイツも同様で、真面目さの悪い面なのだろうな。 このような日記が残っているのはありがたいことです。2015/06/05

Yasuhisa Ogura

2
東京裁判で死刑判決を受けた武藤章中将の手記。幼少期から、死刑執行の直前の昭和23年11月18日までの日々が綴られている。個人的には、武藤中将の死刑判決には疑問を持っている。というのも、死刑判決を受けた者(陸軍大将や首相経験者)と比較して、その地位が低すぎるからである。残念ながら、その謎を解くきっかけを見つけることはできなかった。しかし、内容の是非はともかく、公表することを前提として書かれたものでないためか、著者の正直な思いは伝わってくる。2013/02/18

Shinya Fukuda

1
構成は三部になる。最初の経歴の素描では軍歴わ主体に語られる。次の比島戦の実相は米軍が上陸を開始し徐々にに追い詰められていく様子が描かれる。最後は巣鴨日記。巣鴨での生活、宣告を受けてからの心の動きが描かれる。石原莞爾と対立したというがそれは一部分だけで後に石原とは和解している。山下奉文とは皇道派と統制派で対立しそうに見えるが良好な関係だったようだ。解説にある通り評価の難しい人。「不遜」な物言いをする人だったようでそれが誤解を招く原因だったか。明らかなのは優秀な軍人だったこととマッカーサーの犠牲者だったこと。2021/12/11

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