中公文庫
北岸部隊―伏字復元版

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  • サイズ 文庫判/ページ数 247p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784122040595
  • NDC分類 916
  • Cコード C1195

内容説明

南京・徐州と日本軍が大陸の深奥へと侵入しつつあった昭和十三年、林芙美子は海軍機で南京に到着した。石川達三、深田久彌ら報道班員と各地ですれ違い,揚子江北岸部隊とともに要衝漢口を目指す。埃臭い船底で兵と語り、野戦では限られた物資を分かち合い、死線に赴く兵を見送る。生命、生活、生涯をうち砕き、一瞬の早さで飛び去る兵隊の運命に心を撃ち抜かれた女流作家の従軍記。伏字復元版。

著者等紹介

林芙美子[ハヤシフミコ]
1903‐1951年。福岡県門司市生まれ。幼少より両親とともに、行商の生活を重ねて九州一円を転々とし、後に広島県尾道市に落ち着く。高等女学校在学中から文才を示し、卒業後上京して多数の作品を発表する。1930年手塚緑敏と結婚、同年『放浪記』がベストセラーとなる。日中戦争が勃発した1937年以降、女流の従軍作家として活躍した。終戦後、文学的生涯の頂点を迎え、『松葉牡丹』『浮雲』などの秀作を残した
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

ネムル

15
体当たりの従軍記、言葉の体当たり。林芙美子はいつだってカッコいい、やはり読んでよかった。日本兵への寄り添い以上に軍馬への愛情が泣ける。中国兵の冷たい視線はひとまずは脇に置いておこう。林芙美子はタカ派だったとの話も定かではないが、それも含めて。2020/01/13

がんぞ

3
弔辞の名人で知られる川端康成は林の葬儀の際「生前のことは許してやろう」という異例の弔辞を述べたという「なにかある」らしい。舞台・放浪記では他人の作品掲載を邪魔したというようになっているが、誰もが行きたがった従軍報道に抜け駆けがあったというようなこともあったかも知れない。内容は戦意昂揚を目的とするだけに両軍兵に悲惨な場面はあまりないが意外に多用されている軍馬が悲惨な骸となる場面はある。侵略とか現地には無関係、自衛のみ。ベトナム戦争は桐島洋子もローラ・インガルスの娘も従軍取材。正当性疑いない、と国民にアピール2012/01/27

yumiha

2
桐野夏生の『ナニカアル』の冒頭と同じ詩から、やはり始まる。30代半ばで文人として漢口陥落一番乗りを果たした林芙美子の従軍記である。9月19日(私の誕生日だが)から10月28日の2ヶ月弱を第六師団と行動を共にする。地雷があるかもしれない道を砲弾の音を聴きながら、ときに水浸しになりながらも、戦場を女性の目で書き残したい、という芙美子の行動力は凄まじい。「その支那兵の死体はひとつの物体にしか見えず、さっき担架にのせられて行った我が兵隊に対しては、沁み入るような感傷や崇敬の念を持ちながら、この、支那兵の死体に、私2010/09/23

Gen Kato

0
再読。戦争という状況を描いたひとりの文学者の作品として誠実なものだと思う。見たもの、目には映らなかったものを含めて。2015/05/01

山がち

0
林芙美子は『下駄で歩いた巴里』のイメージが強く、そういった点で従軍記というのはあんまり魅力的ではなかった。しかし、南京の町並みは、『下駄で歩いた巴里』を思い出させる魅力にあふれていた。現在の価値観からするとどうしても批判にさらされることにはなるであろうが、当時の価値観からするとかなり大きな意義を有していたのだろう。作家が最前線に向かっていくということ自体は、現代においてもある程度考慮してもよい事柄に思われる。彼女の従軍は、単に時代的な風潮以上に諸国を旅する力強さという彼女の個性が支えていたように思われる。2013/09/12

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