中公新書<br> 万葉集の起源―東アジアに息づく抒情の系譜

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中公新書
万葉集の起源―東アジアに息づく抒情の系譜

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  • サイズ 新書判/ページ数 302p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784121025920
  • NDC分類 911.12
  • Cコード C1221

出版社内容情報

恋をしたり、愛する人を失ったりすると、私たちはその心を俳句や短歌に詠もうとする。それは千二百年前に編まれた最古の歌集『万葉集』以来、受け継がれてきた心性だ。『万葉集』では、人を恋しいと思う気持ちはどう歌われているのか。さらに時代を遡ると、それらの歌のルーツはどのようなものなのか。著者は、今も恋歌の歌垣や挽歌の伝統が残る中国少数民族にその原型を求め、日本人の抒情表現の本質を明らかにする。

内容説明

日本人は、恋をしたり、愛する人を失ったりすると、その心を俳句や短歌に詠んできた。それは最古の歌集『万葉集』以来、受け継がれてきた心性だ。『万葉集』では、人を恋しいと思う気持ちはどう歌われているのか。さらに時代を遡ると、それらの歌のルーツはどのようなものだったのか。著者は、今も歌垣で恋歌を、葬儀で挽歌を歌う中国少数民族の歌文化にその原型を求め、日本人の抒情表現の本質を明らかにする。

目次

万葉集の成立と東アジアの声の文化
第1部 万葉恋歌の基層(歌垣とはなにか;対詠的恋歌と歌垣;独詠的恋歌と歌垣;物語的恋歌と歌垣)
第2部 万葉挽歌の基層(喪葬とはなにか;歌垣と喪葬歌舞;哭き歌から女の挽歌へ;専門歌人の挽歌)
声の歌から万葉和歌へ―継承と飛躍

著者等紹介

遠藤耕太郎[エンドウコウタロウ]
1966年、長野県生まれ。1998年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員PD、共立女子短期大学非常勤講師等を経て、共立女子大学文芸学部教授。一般社団法人アジア民族文化学会代表理事。専攻・日本古代文学、中国少数民族文化(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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terve

44
久々におもしろいと思える本でした。そして、久々の中公新書…。詠うという精神の起源を中国の少数民族に求め、フィールドワークを行いながら実証していく本です。正直、この本を読むまでは歌垣は日本独自のものだと思っていました。しかし、よく考えれば恋を詠ったり、死を嘆いたりすることは万国共通ですよね。少数民族の文化様式も記録するというように、文化人類学にも繋がる内容ではないでしょうか。日本人が和歌や俳句作ることは、自分と社会との折り合いを付け、心のバランスを保つ方法である…和歌の起源は壮大ですね。2020/07/18

さきん

24
万葉集と歌垣との密接な関係は疑いもない。あれだけの恋の歌を男女で掛け合うのは、歌垣の場において他にない。関東地方は筑波山の麓が歌垣の舞台になったそうだ。リス族やペー族も数百キロの離れたところから若者が集う。今ではこのような文化が2000年代には廃れたようで残念。漢族化が進んでいくと思われる。日本においても出会いの公的な機会の少ない自分としては、知的な掛け合いな歌垣をしてみたいなと思ってしまう。2020/08/22

かふ

19
『万葉集』の起源が東アジアの少数民族の伝統芸「歌垣」にあるとするもの。日本の伝統が大陸から流れてきたものだということなんだろう。歌垣は男と女が交互に歌を交換しあって最後は結ばれるというパターン。男が誘い、最初は女は拒否をして男の後を追わない。その掛け合いなのだが最後には合一となる。万葉集の和歌だと合一があった後に男が去っていく、もしくはその逆に男が会えないから個人の思いを歌う。それで大抵は自らのうちに秘めてしまう歌になる。もともとは対詠唱(相聞)的恋歌だったのが、貴族制度の中で独泳的恋歌になっていく。2021/05/31

yamahiko

14
著者は、歌垣、挽歌の起源を、モソやリスなどの少数民族に対する詳細なフィールドワークを通し比較検討していく。人が歌を「うたう」ことを必要としかつ必然としている理由を知ることができ、とても刺激的な一冊でした。2020/10/10

はちめ

11
刺激的な一冊。万葉集の相聞歌と挽歌について中国少数民族における歌垣などに関するフィールドワークを通じて比較文学的実証が行われている。特に、中国少数民族における歌垣の実態をベースに万葉集の相聞歌を読む試みは刺激的だ。有名な額田王と大海人皇子との紫野におけるやり取りは、歌垣という文化をしっかりと共有していた万葉人達の衆目の場における疑似歌垣的なやり取りだったのだと思う。挽歌の方はやや強引な結びつけが多いように感じたが、万葉集読解において必須の一冊ではないだろうか。☆☆☆☆★2020/07/14

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