出版社内容情報
607年、日本は隋の煬帝に「日出ずる処の天子」で名高い書状を送る。以後、対等の関係を築き、中国を大国とみなすことはなかった――。こうした通説は事実なのか。日本はアジア情勢を横目に、いかなる手段・方針・目的をもって中国と交渉したのか。本書は、倭の五王から、5回の遣隋使、15回の遣唐使、さらには派遣停止後まで、500年間に及ぶ日中間の交渉の軌跡を実証的に、「常識」に疑問を呈しながら描く。
内容説明
607年、日本は隋の煬帝に「日出ずる処の天子」で名高い書状を送る。以後、対等の関係を築き、中国を大国とみなすことはなかった―。こうした通説は事実なのか。日本はアジア情勢を横目に、いかなる手段・方針・目的をもって中国と交渉したのか。本書は、倭の五王の時代から、5回の遣隋使、15回の遣唐使、さらには派遣後まで、500年間に及ぶ日中間の交渉の軌跡を実証的に、「常識」に疑問を呈しながら描く。
目次
第1章 倭の五王の時代―「治天下大王」の中国南朝交渉(五世紀、宋王朝に何を求めたか;倭国人のイメージ―梁「職貢図」が語るもの;「天下」とは―倭国で中華思想は芽生えたか)
第2章 遣隋使の派遣―「菩薩天子」への朝貢(梁による仏教隆盛―朝鮮諸国、倭への「公伝」の意味;倭王権の安定、大国隋の登場―対中交渉の再開;六〇七年、「日出処の天子」の真意;対随外交の真実―なぜ対等・冊封を求めなかったか)
第3章 遣唐使の一五回―一代一度、朝貢の実態(太宗の歓迎から白村江の戦いへ―六三〇~六六三年;唐からの接近、国号「日本」変更の願い入れ;崇仏国・唐への仏教アピール―鑑真来日と道教拒否;衰微する大国と排外主義―円仁が見た中国)
第4章 巡礼僧、海商の時代―一〇世紀、唐滅亡以降(最後の遣唐使計画―宇多天皇の意欲、菅原道真の反対;戦乱の五代十国時代―「聖地」を目指す日本の巡礼僧;宋による統一―国家間交渉の終焉)
おわりに 歴史的事実とは―「外交」と遣隋使
著者等紹介
河上麻由子[カワカミマユコ]
1980(昭和55)年北海道生まれ。2002年北海道大学文学部人文科学科卒業。08年九州大学大学院人文科学府博士後期課程単位取得退学、博士(文学)。14年より奈良女子大学文学部准教授。専攻・日本古代史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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