内容説明
謙信の流れをくみ、鷹山を中興の祖と仰ぐ名門、米沢藩上杉家。最後の藩主・茂憲は明治十四年、琉球処分から日が浅い沖縄に県令として赴く。本島をくまなく巡り、宮古・石垣両島まで及んだ視察で目撃したのは、困窮にあえぐ庶民の姿であった。再三の改革意見は政府から黙殺され、志半ばで解任される茂憲。だが、情熱を傾けた人材育成は後年になって実を結ぶ。今日もなお沖縄で敬愛される上杉茂憲の二年にわたる奮闘の記録。
目次
序章 雪国と南島
第1章 沖縄の発見
第2章 沖縄本島巡回
第3章 教育と予算
第4章 刑法と慣習
第5章 上杉県令の改革意見
第6章 政治的刺客
第7章 辻遊廓
第8章 県費留学生
第9章 那覇八景
著者等紹介
高橋義夫[タカハシヨシオ]
1945年(昭和20年)、千葉県に生まれる。早稲田大学文学部仏文科卒業。月刊誌の編集者を経て、執筆活動に入る。1992年、『狼奉行』で第106回直木賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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佐島楓
49
明治時代、沖縄最初の県令として勤めた上杉茂憲の功績を書いたもの。明治政府の横暴さや沖縄に対する無理解さが悲しい。貧困にあえぐ沖縄の民衆を救おうとした茂憲。正直申し上げてもっと長い間実務に携わっていただきたかったが、政府の命令では仕方なかったのだろう。中央政府と沖縄の関係性の歴史を知るのには良い本だと思う。2015/11/25
壱萬参仟縁
27
沖縄では大正期になっても、小学校の共通語教育で、沖縄言葉をしゃべった児童の首に方言札を掛けさせ、罰をあたえた。東北地方でも類似(5頁)。文化としての言葉をこうして壊すのは、時代に拘わらず、どうなのか? 明治14年には、那覇と田舎を結ぶ荷馬車や人力車が通れる道路は開通していない。はじめて車道が開通するのは西村捨三県令の時代の明治18年で、那覇・首里間1里8丁(約5キロ)、首里・与那原(よなばる)間の2里14丁(約9キロ)。その他は明治後期から大正時代まで待った(42頁)。2015/09/08
ナディ
10
複雑な読了感。沖縄の歴史は繰り返すのかなあと。因習を変えることは難しい。上杉茂憲の教育や改革にかける思いは、陰謀で挫折してしまうが、功績を忘れない人もいたとあったのが救い。琉球の士族(琉球だけではないが)の身分のこだわりもあの時代では致し方無いのか。茂憲の漢詩を読み、琉球時代の漢詩を読みたいと思ってしまった。2015/08/20
みなみ
8
アンリミで読了。沖縄の県令に任命された米沢藩主の上杉茂憲の奮闘。貧しく、搾取され、食べ物ではなく砂糖を作り、そのために自分たちの食べ物がなくなって蘇鉄を食べざるを得ない。上杉茂憲は教育の充実や産業の発展など様々な施策を考える。結局、上杉茂憲は成果を出すより前に配置転換されてしまったわけで、読んでいて痛烈に感じるのは沖縄の差別と貧困だった。2024/10/26
Lila Eule
6
米沢藩最後の藩主上杉茂憲の沖縄県令の事績を通して、明治の中央政府の支配と沖縄の被支配の歴史がよくわかる。17世紀から薩摩藩に支配されるも日清両属の思想が根付き、明治政府は皇民化教育で改造しようとしたそうだ。怨念が底にあると著者は言う。皇民化教育は沖縄戦の惨劇に繋がり、アメリカ支配、日本復帰も心の底にあるものを更に硬くしたのだろう。美しい穏やかな人々の歴史が昔からこれほど厳しいとは・・・2016/02/04
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