中公新書<br> 幕末維新と佐賀藩―日本西洋化の原点

電子版価格
¥836
  • 電子版あり

中公新書
幕末維新と佐賀藩―日本西洋化の原点

  • ただいまウェブストアではご注文を受け付けておりません。
  • サイズ 新書判/ページ数 226p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784121019585
  • NDC分類 210.58
  • Cコード C1221

出版社内容情報

欧米の先進技術を最も蓄積し、幕府、薩摩を圧倒。激動期の主役だった佐賀藩。明治以降、評価を否定された「肥前」の真の価値を描く。

内容説明

明治維新の原動力となった「薩長土肥」の雄藩だが、肥前=佐賀藩の影は薄い。しかし西洋の先進技術を最も蓄積した佐賀藩は、英明な藩主・鍋島閑叟のもと鉄製大砲を製造。幕末期、技術力で幕府や他藩を圧倒し、閑叟は新政府のトップに躍り出る。また開明的な藩士が多数輩出し、江藤新平は教育・司法に「西洋丸写し」とまで称される大胆な制度を導入する。佐賀の乱以降、薩長政権下、活躍が軽視された同藩の真の価値を描く。

目次

序章 長崎御番
第1章 鍋島閑叟の登場
第2章 日本開国
第3章 尊王攘夷と佐賀藩
第4章 江戸幕府瓦解
第5章 明治新政
第6章 国民教育への道
第7章 初代司法卿―人権の父
第8章 暗転―明治六年政変と佐賀戦争
終章 明治維新史を見直す

著者等紹介

毛利敏彦[モウリトシヒコ]
1932年(昭和7年)、千葉県に生まれる。1956年、九州大学法学部卒業、九州大学大学院博士課程修了。大阪市立大学教授を経て、同大学名誉教授、法学博士(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

skunk_c

56
長崎御番、鍋島閑叟(直正)、江藤新平と主役をずらしながら、幕末・維新史の著者なりの解釈を提示する。特に明治六年政変は従来の自説をコンパクトにまとめてある上、佐賀の乱絡みもあり、より大久保利通を悪役に仕立てている感がある。学会では少数派になっているようだが、氏の説は磯田氏も言うようにひとつの見方として重要と思う。また、佐賀の乱もまるで大久保陰謀説、しかも江藤に対する嫉妬からではというのはかなり極論にも思えるが、明治六年政変も含め、伊藤博文が佐賀の躍進を止めて長州復権を目指し暗躍したとの視点は面白かった。2021/04/09

maito/まいと

19
前半が鍋島直正(閑叟)。後半が江藤新平。うーん、タイトルからもっとオール佐賀藩な話しを期待しただけに、ちょっと絞りすぎ。直正は藩政改革こそ成功させたという意味では名君中の名君だけど、こうやって新書で読むと対外活動では冴えない印象強いなあ。佐賀藩出身の歴史小説読むとここら辺がぼやかされてるだけに、読んで良かった内容。後半の江藤も司馬作品基準じゃ見落としそうな功績にも言及されており、読み応えはあった。でもやっぱり、この二人に絞らず、佐賀藩メンバー全体の動きとか変遷読みたかった。2019/06/24

茶幸才斎

8
幕府や諸藩に先駆け、鉄製大砲と蒸気軍艦の建造など西洋資本主義の物理的圧力に対抗すべく科学技術の振興を指揮した肥前佐賀藩主、鍋島直正(閑叟)と、その秘蔵っ子であり、明治新政府で文部省初代大輔として国民皆教育制度の基礎を固め、また司法省初代司法卿として国民主体の裁判制度を築いた江藤新平。二人の業績を軸に、幕末維新期の歴史を追った本。いわゆる佐賀の乱討伐は、才能に嫉妬した大久保利通による江藤抹殺だったと筆者は云う。初期の明治政府が、強者の私情が覗く政治力学の混濁を多分に湛えた危うい舵取りをしていたことが窺える。2018/04/03

マリーゴールド

7
毛利先生の「明治六年政変」関係著作を読んだら「政府首脳で最も緻密かつ組織的な頭脳の持主」(引用元を確認してないので記憶で書いてます^^;)江藤新平と政変の翌年に大久保らが行った台湾出兵が気になって2冊を読み、江藤新平に興味を持ったら彼を輩出した佐賀藩が気になりこの本を手に取りました。で、3冊とも全部毛利先生の本なんだよね。政変関係著作を合わせて計5冊全部読んで思うのは、これは偶然ではなくやっぱり必然で、江藤新平や台湾出兵、そして佐賀藩を理解することなしに明治六年に起こった政変を判断するのは無理が2019/05/31

Hiroshi

6
幕末・明治初めの佐賀藩を讃える本。佐賀の乱(佐賀藩では佐賀の役という)のために佐賀県は余りいい評価を受けていない。それを正す為に書かれた。◆江戸時代の佐賀鍋島藩は、筑前福岡藩と共に1年交替で「長崎御番」を勤めていた。長崎港口警備の軍役をするのだ。平和ボケをしていた文化5年(1808年)にイギリス軍艦フェートン号がオランダ船に偽装して長崎港に表れ、出島のオランダ人を人質にとるなど暴挙に出た。ところが御番の佐賀藩の藩士がいない。幕府の長崎奉行は後に割腹し、警備の手抜かりで番頭は死罪、藩主斉直は逼塞させられた。2019/04/26

外部のウェブサイトに移動します

よろしければ下記URLをクリックしてください。

https://bookmeter.com/books/47468
  • ご注意事項

最近チェックした商品