内容説明
北からも南からも出没する異国船。海の外がどうも騒がしい。そう直感した蘭学者たちの前には、「鎖国」という厚い壁が立ち塞がっていた。その頃世界は一人の風雲児によって激動の嵐に巻き込まれており、日本近海の動揺もその余波であった。“震源地”ナポレオンの事績に関心を持ち、伝記を訳述、紹介した小関三英は、蛮社の獄直前に自刃。しかし、彼が開いた西洋偉人研究は兵法研究へと広がる一方、幕末の志士たちの精神的な糧となった。
目次
1 ナポレオンと同時代の日本
2 北と南からの危機
3 ゴロウニン事件とナポレオン情報
4 頼山陽、ナポレオンを詠う
5 シーボルト事件と蛮社の獄
6 ナポレオン研究の流れ
補論・古写本への旅―小関三英のナポレオン伝を訪ねて
付録「江戸のナポレオン伝」(岩下哲典抄出・編)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
ちゃま坊
16
吉村昭の書く江戸時代の漂流者と蘭学者がかなり関与。鎖国下で世界情勢を教えてくれたのはオランダ。フランスに侵略占領されたオランダとしてはナポレオンのことを隠していた。でも漂流帰国者や蘭学者などから少しずつ話が漏れてくる。アンテナを立てて世界情勢を探っていた日本人もいたのだ。幕府が皇帝ナポレオンを知ったのは9年後。明治維新のとき吉田松陰や西郷隆盛が話題にしていたナポレオンは、フランス皇帝にまで出世して、ヨーロッパを侵略併合していった英雄とされている。たぶんその後の日本の軍国主義に影響を与えたのであろう。2024/11/10
なつきネコ@着物ネコ
8
最初はナポレオンをひたすら、隠そうとするオランダ。世界の変化を察卒とする幕府の渡り合いは面白い。日本人はナポレオンが好きだが、ヨーロッパ圏では嫌われている。日本人のナポレオン好きは頼山陽から来たん。頼山陽もかつての人物観や、下剋上の乱世感で謳っており、ヨーロッパではロシアを救世主として見ていたのに。三英の厳密な調査を経て倒幕、草莽の観念を生む。むしろ兵学への影響は解っても、倒幕、革命の影響も詳しく教えて欲しい。後に明治政府がフランス革命を否定していた経緯、日本人のナポレオンとフランス革命観の変化も欲しい。2019/02/26
印度 洋一郎
5
江戸時代後期に日本に伝わってきたナポレオン情報を軸に、当時の日本の海外からの情報の受容を考察している。何故ナポレオンなのか?というと、これこそが当時の西洋の政治情勢の中心的イシューだったから。オランダの恣意的で断片的な情報捜査(本国がフランスに占領された事を秘匿していた)にも関わらず、在野の蘭学者や幕府担当者はかなり精度の高い情報をキャッチしていた事に驚かされる。文化文政の頃になると、知識層に西洋の英傑ナポレオンの事が知れ渡るようになるが、そのきっかけは頼山陽の、ロシア侵攻を詠んだ漢詩だったという。2013/12/25
無職さん㌠
3
1789年から始まるフランス革命のニュースは寛政6年(1794年)にオランダによって日本にもたらされた。第一報は第三身分の市民や農民についての言及はなく、単なる下克上といった理解に留まるレベルだった。革命と反革命で大変だけど報告しに来たよという忠勤ぶりをアピールする風説書だった。幕府にとって西欧のチャンネルはオランダ一国だったので、オランダに都合の悪い事実(フランスに本国占領され海外植民地はイギリスに攻撃を受けてるなど)は長期間ひた隠しにされたものの、後に北方から通商を求めてやって来たロシアによって2016/11/01
いちはじめ
0
江戸時代、ナポレオンのことがちゃんと日本にも伝わっていたこと自体が、ちょっと意外。なかなか面白かった2000/06/14




