内容説明
日本人が「くるま」に乗る楽しみを知ったのは明治維新幕開けの数年前であった。その最初は乗合タイプの人力車だった。その後、近代化の中で欧米の車文化の輸入によって、日本人の行動範囲は飛躍的に拡大。同時に道路、交通網の整備に伴い、次々と登場する「くるま」は、日本人の暮らしを大きく変貌させ、日本は一世紀の間にモータリゼーションの波に覆われた。自動車の庶民化にいたる「くるま」の履歴書に、日本の時代相を探る。
目次
第1章 くるま時代への胎動 維新前
第2章 くるま時代の幕開け 明治前期
第3章 機械化の時代 明治後期
第4章 乗りものの大衆化 大正初期~日中戦争前
第5章 ガソリンの一滴は血の一滴 昭和戦時期
第6章 よみがえるくるまたち 昭和戦後
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
kenitirokikuti
9
自動車の市内での速度制限。明治は約10キロ、大正8は26キロ、昭和8年には50キロ▲人力車は日本独自のものと思われがちだが、17世紀ごろの欧州に人が引く馬車みたいなものはあった。廃れたので忘れられている▲反動物虐待の思想は、馬車と関係がある▲井上靖『しろばんば』は大正初期、乗合馬車とバスの新旧交代の話題が点景されている。バスも新しい呼び方で、古くは乗合自動車と言った▲日本での自動車の保有台数が急増するのは世界大戦後である。人力車と乗合馬車は、昭和13年に国の統計からも除かれるほど減った2017/10/01
印度 洋一郎
5
幕末から昭和の戦後まで、日本社会の「くるま(路上を走り、運転手を含む人間を輸送する)」の変遷を辿る。幕末、街道の輸送量の急増から幕府が"車"を使うことを許可した事から、大八車に人を乗せる「乗合人力車」が出現。維新後は馬車、人力車、自転車が加わり、明治中期には遂にモータリゼーションに革命を起す自動車が上陸する。この間、乗合馬車は競合する鉄道や路面電車に負け、人力車はバスやタクシーに負け、それぞれ衰退。大正から昭和初期にかけて急激に自動車が普及するが、道路の整備がまるで追いついていなかった、等興味深い逸話多数2016/12/14
補充兵
0
おもしろかった。各時代のくるまに日本の社会が色濃く反映されていて興味深い。2016/06/26