出版社内容情報
菩提達摩から白隠慧鶴、さらに明治から戦前にいたる約五十人の覚醒体験から、目くるめく境地の真相に迫る。本邦初の「悟り学入門」。
内容説明
悟ると人はどうなるか―初の「悟り学」入門!臨済宗から日蓮宗まで約五十人の「悟り体験記」を読みとき、目くるめく境地の真相に迫る。
目次
悟り体験記への招待
第1部 悟り体験記を読む(中国仏教;日本仏教1 臨済宗(前近代・出家者)
日本仏教2 臨済宗(近代・出家者)
日本仏教3 臨済宗(近代・在家者)
日本仏教4 曹洞宗
日本仏教5 黄檗宗・普化宗
日本仏教6 真言宗
日本仏教7 浄土宗
日本仏教8 浄土真宗
日本仏教9 日蓮宗)
第2部 悟り体験を考える(悟り体験の諸相;悟り体験批判の諸相;悟り体験周辺の諸相)
悟り体験記の彼方へ
著者等紹介
大竹晋[オオタケススム]
1974年、岐阜県生まれ。筑波大学卒業。筑波大学大学院哲学・思想研究科修了。博士(文学)。京都大学人文科学研究所非常勤講師、花園大学非常勤講師などを経て、現在、仏典翻訳家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ねこさん
30
宗教体験は個人的なもので、行為を真似たとて結果は得られない。後進のためにはむしろ隠しておくべき類のものだろうし、語ることは既に自我の肥大が疑われる。故に批判や否定の中には方便もあるだろう。著者もまた、自分は悟りを経験していないと断る。ここでは悟りを五つの段階に分類している。各境地については更に体験者としての分析が欲しい。雑感だがまず人を悟りへと駆り立てる動機については詳しく語られるべきだし、十牛図について触れないのも惜しい。しかしそのエピソードの量、批判、否定論についての考察など全体を通して興味深い内容。2020/06/12
俊介
18
深く考えたことなかったが「解脱」と「悟り」は違うのか。前者は仏になるという意味で、仏教徒にとって最終ゴール。後者は、神秘体験のようなもので、段階を踏むこともあるし元の状態に戻ることもある。「気付き体験」とでも言えるか。本書が扱うのは後者。まず、主に臨済宗の僧侶を中心にだが、幅広い人物の「悟り体験」をひたすら紹介する。ここは評価が分かれるとこだろう。神秘体験に縁がないものにとっては読んでて疲れた笑。しかし、そういうものを感じたことのある者にとっては有意義なのではないだろうか。後半の著者による分析は面白かった2020/04/18
ミー子
9
前半は、多くの仏教者による悟り体験文を紹介。後半は、それら多くの体験記の共通点を抽出して分析し、また悟り体験への批判文も分析。主観的になりがちなこの分野を、客観的でバランスのとれた視点で論じている。著書自身は「悟った体験はないが、病理学者が病人である必要はないように、犯罪学者が犯罪者である必要はないように、悟り学者も悟り体験者である必要はないはず」という姿勢も良い。このような立ち位置からの本は初めて読んだし、興味深く有益な本で、色々知ることができた。他の仏教本で説かれていることの理解にも役立つと思う。2021/01/22
あしお
8
眉唾で読み始めたのだが、殊の外良い本だった。ただし、日本においても禅宗渡来以前に弘法大師の悟り体験もあるし、大日坊能仁のような人もいる。真理は釈尊誕生前から同じようにあるわけで、それはニュートンが生まれる前から世界には万有引力の法則が働いていたのと同じである。宗派が違えど、アウグストゥスもトマス・アクィナスもこの本にある「悟り体験」と同じような体験をしているわけだし、釈尊以前のバラモンも同様である。大切なのは、その体験をどう活かすかにあるし、体験しなくても「どう生きるべきか」こそ大事だろう。2020/03/23
伏木
7
トンデモ本ではない。気鋭の仏教学者による貴重な学術書である。「仏教は悟りを開くもの」であるから、「悟り体験を読む」とは、「仏教とは何か」に対する具体的な答えである。昨今のマインドフルネスの流行、戦後の曹洞宗の悟りの否定という状況で、「大乗仏教における悟り」が消えたり、変質したりする危機感を感じて執筆されたようだ。2020/03/20