内容説明
近代教養主義の時代から大衆教育社会へ、入試問題は歴史とともに変容してきた。まさに、「受験国語」は時代を映す鏡なのだ。では、現代の特徴は何か?センター試験、東大、早大などの問題を徹底的に分析し、国立型と私立型、選択肢問題と記述式問題、評論と小説、それぞれの解き方の筋道を具体的に示すとともに、大学受験国語が求める国語力の是非を論じる。
目次
第1章 大学受験国語は時代を映す
第2章 近代の大学受験国語―教養主義の時代
第3章 大学入試センターが求める国語力
第4章 私立大学受験国語は二項対立整理能力
第5章 国立大学受験国語は文脈要約能力
著者等紹介
石原千秋[イシハラチアキ]
1955年生まれ。成城大学大学院文学研究科国文学専攻博士課程中退。東横学園女子短期大学助教授、成城大学文芸学部教授を経て、現在、早稲田大学教育学部教授。日本近代文学専攻。現代思想を武器に文学テキストを分析、時代状況ともリンクさせた“読み”を提出し注目される(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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夜間飛行
50
私は塾をあまり好かないが、戦後教育で塾の果たしてきた役割を知るにつけ、やはり塾は必要なのかと溜息まじりに認めざるを得ない(でも嫌いだが)。安倍首相と教育再生会議に対して、「教育が政治のオモチャにされることに対して、僕はものすごく腹を立てている」というくだりには胸が晴れた。さて、本書の眼目は大学の国語入試問題でどのような学力・教養が要求されるかの考察である。昔から国語の問題というものはすっきりしなくて、自分の頭が悪いのかと思って終わるのが常だった。今回は、明治・大正・昭和の国語入試問題にチャレンジしてみた。2014/05/10
jjm
8
国語入試問題や国語教育について舌鋒鋭く論じられている。「設問の多くは悪文を添削しているようなもの」確かに"それ"の指す内容が問われたり、正しい内容を選択肢から選ばせるということは、そもそもその文章自体がわかりづらいということ。入試で問われる国語力とは詰まるところ、単なる二項対立整理能力と要約能力のみなのだと著者は言う。小説の問題では、学校空間=建前的常識を知っているかどうか、とも。点数に差をつけるためとは言え、このような設問によって、本当に大学が望んでいる生徒を抽出できるものなのか疑わしい。2021/02/21
がっちゃん
6
選択問題の解答を文脈から導くのでなく、消去法で選ぶのは果たして「国語力」を試していることになるのか!?そう。仰る通りでございます…。では「国語力」とは?社会が求める「国語力」と学校教育で育む「国語力」にズレはないか?課題は尽きません…。2014/04/29
void
5
【★★★☆☆】知識型の「国語試験」から「読解」へのシフトの歴史、実際の出題例は面白かった。また、現在「読解」試験の分析としては、「解釈(本文理解を前提とした飛躍、批判、特定観点)」に至らない文脈参照・二項対立による整理・要約などの能力が問われていると整理している。確かに解釈に踏み込むことこそ高等教育のやることだからその力を問い、下地を作らせておくのは尤もだと思った。が、著者が言うほど解釈手前の能力が要求されている今の問題ってそんな「簡単」ですかね。 あと小説の読みの自由さを強調しすぎているなあと。2014/06/17
ken
4
明治時代の学生達は有数の知的エリート(大学生は200人に1人の割合)で、彼らが受験した入学試験国語とはどんなものだったのか。現行の現代文のように読解力を問う問題ではなく、そもそも文学と哲学の深い造詣がなければ解けない性格の問題だった。「西鶴が表現の特質を述べよ」など実際の問題を見ると当時の若者達の教養の深さを垣間見ることができる(問題の雑さと不親切さも)。昔の国語力とは読解力ではなく、文学的・哲学的教養だった。前半の国語を巡る時代の変遷は興味深く読めた。後半はいわゆる入試問題解説の色が濃くて飛ばし読み。2016/12/13