内容説明
明治三十八年一月、『吾輩は猫である』で一躍文名を挙げた漱石は、日露戦争から戦後にかけて、驚くべき多彩な作家的才能を示しつづけた。しかし、この間に血縁と親族のしがらみは、いつしか“捨てられた子”である漱石の身辺を脅かしはじめた。第三部は、こうして文科大学講師夏目金之助がついに転職を決意するにいたり、東京朝日新聞小説記者夏目漱石となったいきさつを、内と外から跡付けようとした試みである。
目次
名前のない猫
「無所属の紳士」
距離と短縮
新しい言葉
日常化した死
パナマの帽子
「描けども成らず」
人生の真実
処女出版
隠蔽のための喩
陸軍凱旋
四つ目垣とボール
「崖下」の風景
英語学試験嘱托辞任
「コンフエツシヨン」の文学
『破戒』の衝撃
根津権現裏門坂
京都行きの噂
桃源の無可有郷
血縁と婚姻の網の目
「寒」い「気分」
木曜会
転居騒ぎ
朝日新聞社入社始末
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ダイキ
5
図書館。『吾輩は猫である』から『野分』まで。朝日入社直前。2015/01/29
Gen Kato
1
「(前略)婚姻というこの本来不安定な結合を、人間存在の普遍的条件と看做すべき理由はない。男女のあいだはおろか、親子のあいだについてすら、結合はほとんど偶然的である」「漱石にとって、血縁と婚姻がいずれも偶然の過程であって、確固たる制度ではないとすれば、彼の前で当然世間というものは崩壊せざるを得ない。それは虚偽であり、まやかしに過ぎない」…江藤淳のこの読解はみごと。病気のせいとはいえDVおやじの側面があった漱石に共感せざるを得ないのは、この「家族嫌悪感」が自分にも通じるものだからなのだ、と改めて気づかされた。2015/04/07
讃壽鐵朗
1
江藤淳は文芸評論家ではあるが、一方明治時代の政治、人物等に関する著作も多い。この二つの要素が上手くかみ合って、正に題名「漱石とその時代」が物語るように、漱石の生き様及び作品の評論とその時代の動きが並列的に述べられている。つまり、読者は漱石の人物、作品を理解すると共に、明治という時代の流れをもくみ取ることが出来るわけである。ただし、一般の読者には文芸評論的な部分はかなり難解である。
Shoichi Nemoto
0
人間関係 苦労 2023/12/24