内容説明
米国・アーリントン国立墓地で、静かに眠る日本人女性―その名前はキヨ・ヤマダ。彼女はCIAで日本語を教え、多くのスパイを育て上げた。教え子たちは数々の対日工作に関わり、キヨ自らも秘匿任務に従事していた。歴史に埋もれたキヨの人生と、知られざる日米諜報秘史。
目次
プロローグ 墓碑銘がない日本人CIA局員
第1章 「私はCIAで、ガラスの天井を突き破ったのよ」
第2章 語学インストラクターと特殊工作
第3章 生い立ちとコンプレックス
第4章 日本脱出
第5章 CIA入局
第6章 インストラクター・キヨ
第7章 最後の生徒
エピローグ 奇妙な「偲ぶ会」
著者等紹介
山田敏弘[ヤマダトシヒロ]
国際ジャーナリスト、米マサチューセッツ工科大学(MIT)元フェロー。講談社、ロイター通信社、ニューズウィーク日本版などに勤務後、MITを経てフリー。数多くの雑誌・ウェブメディアなどで執筆し、テレビ・ラジオでも活躍中(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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harass
89
山田清という日本人女性を描くノンフィクション。彼女は東京女子大を卒業後、フルブライト奨学制度に合格し渡米。米大学で言語学を学び、米軍人と結婚する。彼女は結婚生活に飽き足らず、46歳で政府の日本語教師の仕事につく。所属はCIA。単なる教師というだけではなく、対日本のスパイ活動の裏方を担当していたらしい。彼女は優秀な業績をあげ、CIAで日本人では最高位ランクだったとか。著者が取材できたのはは彼女の死後なのでいろいろ隔靴掻痒極まりないのだが、彼女の生活や晩年など、大正生まれ女性の特異な生き方は興味深い。2019/12/17
まーくん
82
04年、ワシントン近郊の住宅に集った東京女子大OGのパーティでキヨ・ヤマダは「もう話していいかしらね」と語りだした。実は自分はCIAに勤務していたと。東京の裕福な家庭に生まれた彼女は戦時中に大学を卒業し、戦後、フルブライト奨学金を得てミシガン大学で修士号を取得。が、渡米前に日本で知り合った米軍人が追ってきて結婚。志を封印して主婦に。46歳の時、”政府機関の語学インストラクター”募集に応募、そこがCIAだった。諜報員に日本語の他、文化や慣習を教授する。77歳で引退。表彰を受け、最高位のメダルを授与された。2019/08/29
さぜん
55
CIAのスパイ養成官に日本人女性がいた。戦後、海外留学を果たしキャリアを形成しようとしたがアメリカ軍人と結婚し専業主婦に。47歳からCIA局員となりガラスの天井を突き破った女性の生涯は興味深かった。公にされないCIAの訓練や冷戦時代から今に至る任務の変化が彼女の履歴を辿る事で見えてくる。「パンとサーカス」で描かれたCIAの世界がフィクションながらも現実味を帯びてくる。戒律が厳しく、海外布教の経験を積んだモルモン教信者が多くCIAに採用されているとは驚き。2025/01/05
パトラッシュ
19
「アメリカで30年以上も日本語教育に携わり高い評価を受けた日本人女性」と聞くと、立派な成功者というイメージしかない。しかし彼女の勤務先がCIAで、日本へ送り込むスパイの語学教育担当官だったとなると話はきな臭くなる。売国奴扱いする人もいるだろうが、米国人と結婚し帰化した彼女には誇りをもって務める仕事だったと本書は伝える。米ソ冷戦のただ中で、情報が集まる日本を舞台に数々の諜報戦があればこそ日本語教官のニーズがあったのだ。戦後日本は戦争を経験せずにすんだと思い込んでいる平和ボケ日本人に重い衝撃をもたらす一冊だ。2019/09/11
緋莢
16
図書館本。「…私、CIAのスパイを養成していたのよ」国務省で日本語のインストラクターをしていたと思っていた キヨ・ヤマダが突如、こう口にした事で知人たちは驚いた。長い付き合いのあった人も、CIAに関与していると感じた事は一度もなく、亡くなった夫にすら、自身の仕事についてほとんど話をしなかったとのこと。さらに、取材を進めていくと、言語インストラクターだけではなく、CIA諜報員がメディア関係者をスパイにするための工作、企業にCIAスパイを送り込む工作にも従事していたことが明らかに(続く 2024/09/12