内容説明
「『欲望』という名の電車に乗って」ブランチが降り立ったのは、ニューオリアンズの下町フレンチ・クォーター。南部の大農園の娘から身を持ちくずし、妹ステラのアパートに身を寄せた。傷心のまま過去の夢に生きる彼女を迎えたのはしかし、ステラの夫スタンリーらの、粗暴なまでの“新しいアメリカ”の生だった―。1947年初演、ピューリッツァー賞受賞の、近代演劇史上不朽の名作。
著者等紹介
ウィリアムズ,テネシー[ウィリアムズ,テネシー][Williams,Tennessee]
1911‐1983。アメリカの劇作家。ミシシッピ州コロンバス生れ。不況時代のセントルイスで不幸な家庭環境のもと青春時代を送る。各地を放浪、大学、職をかえながら、創作をしていたが、’44年自伝的作品「ガラスの動物園」がブロードウェイで大成功し、’47年の「欲望という名の電車」、’55年の「やけたトタン屋根の猫」で2度ピューリッツァー賞を受賞。その名声の裏で、生涯背負いつづけた孤独との葛藤から私生活は荒れていた。ニューヨークのホテルの一室で事故死
小田島雄志[オダシマユウシ]
1930年旧満州生れ。東大英文科卒。英文学者、演劇評論家。シェイクスピアの戯曲を個人全訳。芸術選奨文部大臣賞(評論等部門)受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ヴェネツィア
155
この作品の持つ強いリアリティが、劇の進行と共にしだいに暗い影を落とし、やがては陰惨なまでの様相を帯びてくるまでになる。それほどに、この劇の推進力は大きい。とはいっても、劇中にこれといった事件が展開する訳ではない。すべては心理劇であり、それが圧倒的な力でブランチを追い詰めて行くのだ。そして、それはまたアメリカ南部の没落農園主の2人の娘たちと、ポーランド系移民の男スタンリー、それぞれの内的な葛藤をも描き出してゆく。ニューオリンズを舞台に選んだこと、そして背景に流れる音楽もまた大きな効果を上げているだろう。2013/04/25
ケイ
148
前後して読んだ『ガラスの動物園』より、断然こちらがいい。ニューオリンズの街の貧しさ、猥雑さ、そしておおらかさ。そんなものでも慣れて暮らせば都なのかと、階段に座り込む女たちや、カードをする男たちの生活に思う。そこにやってきたややこしい女のだらし無さは、この街のだらしなさとは異なる。ねっとりとした街に、面倒な棘を持ち込んでくる。向かう先は破滅しかないが、破滅を好む女は、承認欲求がことさらに強く、やっかいなものだ。2021/05/08
ehirano1
126
映画では「ステェラァッー!」で有名な本作。スタンリーとブランチの各々異なる「欲望」の真っ向から激突に目が離せませんでした。彼らの異なる「欲望」は時代の何かのメタなんでしょうけど、異なるという点を考慮すると、時代の転換期における新旧の価値観(≒欲望)なのかもしれないと思いました。2023/05/20
kaoru
93
再読本だが読むたびに名作だと思わされる。ブランチとスタンリーの対立は滅びた南部の優雅さと新しいアメリカの戦いにとどまらず、せんじ詰めれば女と男のどうしようもない感性の差に行きつく。ブランチのかつての夫アランが「同性愛の美少年」であった事実。粗暴で勝ちを至上主義とするアメリカは現代に引き継がれ「トランプ的なもの」などその代表例だろうが、こうした国に暮らす少数者としてウィリアムズはさぞ苦しかっただろうと思ってしまう。ブランチには精神を病んだ作者の姉の面影があるし、アランの自殺は彼の罪悪感を反映しているのかも→2022/05/24
NAO
90
没落し故郷を離れた姉が貧民街に住む妹のもとを訪れたのは、自分の輝かしい過去を知っている唯一の人物が妹だったから。妹の前では、かつての輝かしい自分のままでいられるから。ステラ夫妻が住むこの町にたどり着くためのL&N鉄道を、ブランチは、ふざけて「『欲望』という名の電車」と言っている。だが、ブランチは、ここに来る前からずっと、「『欲望』という名の電車」に乗り続けていたのではなかったか。そして、その電車から降りることができないでいるうちに、その『欲望』に魂を奪い取られてしまったのではないのだろうか。2018/10/11