内容説明
尊王学者・山県大弐の影響をうけ、藩の進むべき道をめぐって対立を深める小幡藩の青年藩士たち。やがて兄と許嫁が敵味方に分かれることになった時、八千緒は…。そして、大弐の秘める計略とは。彼と苦難をともにする若者たちをとおし周五郎が生涯のテーマ“人間の真価は何を為したかではなくて、何を為そうとしたかだ”を追求。剣戟あり、悲恋あり、知略うずまく歴史時代長編!
著者等紹介
山本周五郎[ヤマモトシュウゴロウ]
1903‐1967。山梨県生れ。横浜市の西前小学校卒業後、東京木挽町の山本周五郎商店に徒弟として住み込む。1926(大正15)年4月『須磨寺附近』が「文藝春秋」に掲載され、文壇出世作となった。『日本婦道記』が’43(昭和18)年上期の直木賞に推されたが、受賞を固辞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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のびすけ
25
山県大弐の尊王倒幕思想の実現を企てる家老らの勢力とそれを阻もうとする改革派の対立。家老側の三九馬を主人公として物語が進むので、改革派を「抵抗勢力」と捉えてしまうが、果たしてどちらの勢力が正義だったのだろうか。対立する両勢力の争いの中で、一途な思いを貫くお房と八千緒の二人の女性が印象的でした。軽めのタッチ、テンポのよい場面転換、派手な剣劇、恋模様。周五郎先生初期の娯楽長編。2024/04/24
キムチ27
22
周五郎がブラウニングの掲げる命題を人生の指針とした表れの作品。類似の「ながい坂」に比べると娯楽性が彩られ、男女の恋のもつれがあって新聞連載らしい華やぎがある。当初読んだ時、山縣大弐の在り様は時期尚早であるが故の虚しさと強く感じた。再読すると、先述の「何を為そうとした」をちくんと感じる。彼が起こした明和事件はその後 明治24年に倒幕運動の先駆として功労された。つまり、周五郎的には山縣の動きが由比正雪のそれとは異なり「とにかく動かねば」というゴロンとした義挙ゆえだったのだろうか。う~ん、面白い解釈かな。2013/12/01
タツ フカガワ
17
新潮文庫の周五郎作品は全部読んだつもりだったのだが本書が漏れていた。上州の小藩、小幡藩では尊王学者山県大弐を支持する現体制とそれに反対する改革派の対立が激化。現体制派の百三九馬(ももい・さくま)は、この抗争で親友や許嫁と対立することになる。明和事件を題材にした周五郎31歳(昭和9年)の作品で、意外に剣劇シーンが多く、講談調というか往年の東映時代劇のような娯楽作でした。後の作品と語り口というか文体が違っていて、少々戸惑いながら読み終えたところです。2019/08/22
あさひ@WAKABA NO MIDORI TO...
13
物語は江戸時代中期の明和事件を題材にしたものです。尊王思想なんて江戸後期の話だと思ってたら、こんな時代からもう既に始まっていたんですね~。 お家騒動の様子が、それぞれの側の立場から描かれていて、お家大切派からすれば当然尊王思想の改革派は放っておくことなどできないでしょうし、改革派からすれば旧態依然たる保守的な考え方が理解できないのでしょう。この作品は元々新聞に連載されたものとのことで、テンポよく話が進むところもよかったです。やっぱり山本周五郎の時代物はいいですね~♪2010/12/04
フーミン
11
百三九馬はヒーローなので非常に強くて女にもモテてるのも当たり前なんですが、妬ましいと思ってしまう。五十過ぎた男が何を悔しがっているんだと言われそうであるが、三九馬の言動はサバサバして格好よすぎるのだ。山本周五郎の初期作品としては気持ちのよい物語だった。2016/04/15