内容説明
皇族でありながら、戊辰戦争で朝敵となった人物がいた―上野寛永寺山主・輪王寺宮能久親王は、鳥羽伏見での敗戦後、寛永寺で謹慎する徳川慶喜の恭順の意を朝廷に伝えるために奔走する。しかし、彰義隊に守護された宮は朝敵となり、さらには会津、米沢、仙台と諸国を落ちのびる。その数奇な人生を通して描かれる江戸時代の終焉。吉村文学が描いてきた幕末史の掉尾を飾る畢生の長篇。
著者等紹介
吉村昭[ヨシムラアキラ]
1927‐2006。東京日暮里生れ。学習院大学中退。1966(昭和41)年『星への旅』で太宰治賞を受賞。その後、ドキュメント作品に新境地を拓き、’73年『戦艦武蔵』等で菊池寛賞を受賞。以来、多彩な長編小説を次々に発表した。周到な取材と緻密な構成には定評がある。主な作品に『破獄』(読売文学賞)、『冷い夏、熱い夏』(毎日芸術賞)、『天狗争乱』(大佛次郎賞)等がある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
yoshida
171
上野東叡山寛永寺の山主である輪王寺宮能久親王の激動の生涯。鳥羽伏見の戦いから日清戦争までが描かれる。幕末の動乱により皇族の運命も別れる。有栖川宮は新政府軍の東征総督として江戸へ向かう。上野寛永寺にある輪王寺宮は徳川家と江戸の人々に好意があり旧幕勢力の象徴となる。寛永寺での彰義隊の敗北から、奥州に逃れ奥羽越列藩同盟の盟主となる。戊辰戦争後、朝敵の過去に苛まれながらもプロシャへ留学。陸軍軍人として日清戦争に従軍する。輪王寺宮の陸軍軍人としての覚悟、行動から朝敵の汚名をはらす強い意思を感じた。実に読ませる力作。2018/09/16
ケンイチミズバ
107
自分たちの大義のために天皇を利用する行為、策略は歴史の中で度々見られます。薩長による幕府憎しの感情による暴挙と外国からの最新鋭の武器がそれを手伝い幕藩体制は瓦解しました。薩長の思惑一辺倒に傾く朝廷を説得に向かった慶喜は砲撃を受け、応戦しただけで朝敵の汚名を被ります。江戸城開城後の官軍の乱暴狼藉に対する治安維持にあたった彰義隊もその存在が邪魔になり武力鎮圧されます。悲しい背水の陣のドミノは鳥羽伏見から上野、会津陥落と続いて行きます。憎し、殺してしまえ。戦争がいかにばかげていて大切な人材を失わせたことか。2022/12/12
honyomuhito
77
彰義隊がタイトルであるが、主な内容は、明治天皇の叔父、北白川宮能久親王、輪王寺宮について。話の展開はずっと裏目裏目に進む。守ろうとしたものは守れず、名誉も失う。しかし戦時において勝つために勝つ方につくのではなく、愛着や思い入れで行動したり。自分の名誉が傷ついたとき、それを取り返すためわざと厳しい戦争の前線に赴いたり。非常に人間らしい。失礼ながら要領が良いとはいえないけれど、懸命に愚直に大切なもののために生きる姿に、厳かな敬意をいだける。https://chirakattahondana.com/彰義隊/2019/01/06
読特
65
鶯谷駅から徒歩10分。現在の地図で見るとさほど広くない。当時の寛永寺のほとんどは上野公園となっている。上野戦争は慶応4年の旧暦5月15日。1日だけで決着がつき、山主の輪王寺宮は逃亡生活に入った。天皇の叔父である皇族が幕府側に立ち朝廷の敵になる。江戸町民への思い。後ろにいる薩長だけの好きなようにさせてはいけない。奥羽列藩同盟は早期に瓦解。無血開城。敗者に対する寛大な措置。比較的穏便に進行したという明治の政権交代。欧米列強の脅威。日本が早期に一つにならなければいけない。そのためにもささやかな抵抗は必要だった。2024/07/12
キムチ
57
本書は彰義隊という表題だが、輪王寺宮能久親王という稀有な人生を歩んだ皇族の伝記である。得度して寛永寺に入る。徳川慶喜が恭順の意を示すべく、そこへ蟄居し・・そこから運命の歯車が音を立てていく。資料を駆使した事実が淡々と続いていき、彰義隊の成立、奥州戦争から五稜郭等々これまで幾度か読んだ歴史の描写が続く。ラスト20ページ余りが殊の外面白かった。執拗な有栖川の束縛を離れ海外へ、そこから軍属、数度の婚姻で設けた子たち、そして終焉。まさに幕末歴史のうねりに、本意ならずして転々とした方たちの一人だったといえよう。2015/09/30
-
- 和書
- 新・教育評価法概説