内容説明
女に魅力を感じず、血に塗れた死を憧憬しつつ自らの性的指向に煩悶する少年「私」。軍靴の響き高まるなか、級友の妹と出会い、愛され、幸福らしきものに酔うが、彼女と唇を重ねたその瞬間「私には凡てがわかった。一刻も早く逃げなければならぬ」―。少年が到達した驚異の境地とは?自らを断頭台にかけた、典雅にしてスキャンダラスな性的自伝。詳細な注解付。“この告白によって、私は自らを死刑に処す―”初の書き下ろし長編。のちのすべてが包含された代表作。
著者等紹介
三島由紀夫[ミシマユキオ]
1925‐1970。東京生れ。本名、平岡公威。1947(昭和22)年東大法学部を卒業後、大蔵省に勤務するも9ヶ月で退職、執筆生活に入る。’49年、最初の書き下ろし長編『仮面の告白』を刊行、作家としての地位を確立。主な著書に、’54年『潮騒』(新潮社文学賞)、’56年『金閣寺』(読売文学賞)、’65年『サド侯爵夫人』(芸術祭賞)等。’70年11月25日、『豊饒の海』第四巻「天人五衰」の最終回原稿を書き上げた後、自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決。ミシマ文学は諸外国語に翻訳され、全世界で愛読される(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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NICKNAME
41
久々の三島作品。彼の告白自伝的作品であり、彼はこの作品で彼らしく若い頃から非常に敏感で、博識で、考えに考え込む青年であったことがわかる。また同性愛的傾向も告白しているのだと思う。三島氏没後妻が彼の同姓愛的傾向を否定しているが、それには非常に無理があると思う。彼の死に対するオブセッションも単に戦時中の影響ではなく元々持つ特殊な何かであったのは明らかで、この時からあのような壮絶な自殺劇を先々演じることも予感させる作品である。三島自身生きるということの喜びというよりも、精神的な苦悩の方が多かったのだろう。2022/10/01
踊る猫
37
優秀な頭脳が生み出す明晰な思考が唸る。そこから立ち上がるのは、理論によってついに捕まえられない恋という感情に振り回され、欲望に我を忘れてしまう悲しき人間の姿だ。同性愛的な恋、あるいは異性愛としての愛。両方が(どこかチグハグに)語られて、そうした思い通りにならない感情にコントロールされてしまう男の生態がコミカルとも言える筆致でつづられる。シリアスな作品ではあるのだけれど、同時に彼の真面目すぎる姿がおかしみを誘うという意味では三島が書いた一世一代のコメディとも言えるのかも知れない。実に切実で、そして微笑ましい2023/05/20
松本直哉
32
その自伝的要素、少年への同性愛の主題、戦争が暗い影を落とす点など、数年遅れて出た福永武彦『草の花』と似ているが、違いは哲学的・プラトン的な福永に対して審美的・ディオニュソス的な三島と言えようか。特定の少年との魂の合一を希求する福永と違って、本書の私の性的対象は気まぐれに移り、彼らの内面には立ち入らず、ただその美しい肉体を賛美し、それが傷つき血を流すさまを夢見る。聖セバスチャンの殉教の絵と懸垂の少年をダブらせるところは、ルネサンスの絵に描かれた女性と憧れの女性を重ねるプルーストにも似ている。2023/01/25
わむう
28
中村文則氏の解説「ある性の形を見事に文学に昇華」にものすごく納得。2022/11/22
ベンアル
25
三島由紀夫の初の長編作品。1949年、著者が24歳の時に書いた作品。少年時代から社会人1年目までの自分の性癖を解像度高く記載してあり、表現力が凄い。今後の三島の人生や作品を知ると、敗戦、割腹自殺、ゲイなど三島の考え方を感じることができる。三島作品を一通り読み終えた後にもう一回読みたい。2024/01/03