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死ぬという大仕事―がんと共生した半年間の記録

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  • サイズ B6判/ページ数 191p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784093897174
  • NDC分類 916
  • Cコード C0095

出版社内容情報

2009年4月14日に死去した作家・上坂冬子氏の遺作。
2008年秋にがん再発が見つかり、手遅れと言える状態から、「緩和ケア」医療を選択することで残された時間を有意義に生きた記録。それは同時に、自らの病状を受け入れて、「いかに自分らしく死ぬか」を徹底して追求した時間でもあった。かつてない赤裸々な筆致で末期がん患者の本音と真実が語られた「最後の傑作」である。

内容説明

著者は「緩和ケア」によって、充実した最後の日々を過ごすことができた。「死に方」までも自分で決めて逝きたいと願った作家が末期がんの不安、苦しみから「女の死に様」まで語り尽くした渾身の遺作。

目次

追悼 最期の日まで作家として
第1章 がんは治すな、付き合うべし(終末期医療と緩和医療はどこが違うか;「高齢者は進行が遅い」は迷信;「悶絶死」でなければ本望です;もう住んでいた家を売り払ってしまった)
第2章 医者と患者をつなぐ「命を懸けた信頼関係」(女性は枯れ木がしぼむように、男性はポキッと折れるように;命をあずけたからには担当医の人生観に従います;「散る桜」に美しさを感じる日本人の死生観)
第3章 自分らしく生きるために(「がん難民」を生む医療は許せない;死期は自分でわかりますか?;できることなら誰にも知られずに死にたい)
第4章 すべての患者に全人的医療を(慈恵医大病院長が語る「医療制度の大きな課題」;受け継がれた「病人を診る」精神と、日本人が失ったもの)

著者等紹介

上坂冬子[カミサカフユコ]
1930年、東京生まれ。トヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)勤務などを経てノンフィクション作家に。昭和史、戦後史にまつわる多くの作品を発表。1993年に『硫黄島いまだ玉砕せず』(文藝春秋)などの言論活動により第41回菊池寛賞、第9回正論大賞を受賞。1997年、『原発を見に行こう』(講談社)で第17回エネルギーフォーラム賞(普及啓発賞)受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

mimm

4
Ⅳ期の再発ガンを受け入れ、共生した著書の半年間の記録。達観というか諦念(…はちょっと違うか)というか、とにかく強い著者様。今後戦う家族として、気持ちを持とうか問題も含め考えさせてくれた一冊です。先生とのコミュニーケーションはホント、大事なんだなあ。ちゃんととれるかな。2018/10/09

4
卵巣がんの治療から3年程で再発、肝臓と肺への転移。それから亡くなるまでの約半年間の、担当医や病院幹部との対話を軸にした闘病記。歯に衣着せぬ上坂冬子さんは以前から好きだったので、亡くなった時にはショックだった。78歳、若くはないけれど、まだまだ書いて欲しい年齢でもあった。「医療が人を救うためには、病気に対処するだけではいけない。全人的にケアしてこそ医療である」という信念の元、自らの病状、治療、どうやって死ぬかということまで率直に表現している。がん医療の課題を投げかけた、ノンフィクション作家最後の仕事である。2018/12/21

パンダネコ

2
著名人であり、声が大きい人は得であるのだなぁと言う見方をしてしまう自分が嫌だ。ゆるゆると計画的な最期を迎えられたというのは凄く羨ましい。2016/04/06

mari

1
上坂先生は最後の最後までリンとしてかっこいい、そして緩和ケアということに関して自分の身を持って伝えていただいた。一つの知識となりました、ありがとうございます。2012/06/03

げっさん

0
緩和ケアは誰でもどこでも受けられるわけではないらしい。 苦しまずに死ねるらしい。2014/05/05

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