出版社内容情報
ヒロシマで逝った子どもたちの最期の言葉
瀬戸内の島で原爆投下の8月6日を迎えた奥田貞子さんは、翌日広島に入り8日間、兄の子どもたちを探して市内を駆け巡ります。その間、市内で会った子どもたちの死に立ち会うことになり、死を前にした子どもたちの様子を克明に日記に残しました。
『原爆の子』が生き残った子どもたちの記録として貴重であると同様、亡くなった名もない子どもたちの記録として語り継がれなくてはいけない。これは、その唯一の書です。
「正子はいい、もう痛くない、おじいちゃんに薬つけて」/「お母様にもあげようよ」「お母様には、お兄ちゃんのを残しておくから、みどりは心配しないでお食べ」/「私はもうダメだから、おばさんの子におにぎりをあげてください」。子どもが苦痛に耐えながら、こんなことを言えるのか、というほどの神々しい言葉を遺して子どもたちは、亡くなっていったのです。
戦争の悲惨にどう自分が居合わせたか、そして何も出来なかったか、を突きつけられた著者の悲痛な叫びが、戦後70年経ったいま、読む者にもその真実を忘れるな、と、突きつけてきます。
巻末に、重松清氏による寄稿「ささやかでなければ、伝えられないこと」。
この本について/はじめに 奥田貞子/待っていた兄と妹/優しい正子ちゃん/とんちゃんとお母さん/お母さんとネンネした坊や4/お母さんのメガネ/ふたりの中学生/小さな命はあっけなく消えた/橋のたもとの寝顔/戦争さえなかったら/ゆりちゃんも連れてって/真っ赤な口の中/学校に行きたかった少年/雄一はどこへ行った/一つだけ泊まったら帰ってくると言ったのに/チカちゃんという三歳の子どもと私との、戦争中の生活の一部を聞いてください/終わりに/「ささやかでなければ、伝えられないこと」重松 清
内容説明
瀬戸内の島で原爆投下の8月6日を迎えた著者は、その翌日、広島にわたり、兄の子どもたちを探して町中を巡ります。これは、そこで出会った子どもたちの死に立ち会い、彼らの最期の言葉を克明に綴った日記です。
目次
待っていた兄と妹
優しい正子ちゃん
とんちゃんとお母さん
お母さんとネンネした坊や
お母さんのメガネ
二人の中学生
小さな命はあっけなく消えた
橋のたもとの寝顔―戦争さえなかったら
「ゆりちゃんも連れてって」
真っ赤な口の中
学校へ行こうとした少年―雄一はどこへ行った
島に帰ってからの話 一つだけ泊まったら帰ってくると言ったのに
戦争中の話 チカちゃんという三歳の子どもと私との、戦争中の生活の一部を聞いてください
著者等紹介
奥田貞子[オクダテイコ]
1914~2011年。広島県豊田郡大長村(現・呉市豊町大長)生まれ。1960年から晩年は、山形県小国町の「基督教独立学園高等学校」教諭。原爆投下直後の広島市内で8日間にわたり、甥、姪を探し回った。その8日間を記した当時の日記を、1979年4月に『ほのぐらい灯心を消すことなく』として自費出版。版を重ねた。享年96(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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