内容説明
シャルリュス男爵と仕立屋ジュピヤンの出会いをきっかけに、同性愛(ソドムの世界)の主題がくっきりと姿をあらわす(第四篇1)。ゲルマント大公夫妻のサロンでの、ソドムの男たちの描写とドレーフュス事件の影。章末の一節「心の間歇」では、祖母を巡る過去が突然に蘇る(第四篇2第一章)。アンベルチーヌとの交際の深まり、そして彼女と女友だちの関係への疑惑。ここから、ゴモラすなわちレズビアンの世界が、徐々に始まってゆく(第四篇2第二章)。
著者等紹介
プルースト,マルセル[プルースト,マルセル][Proust,Marcel]
1871.7.10‐1922.11.18。フランスの作家。パリ近郊オートゥイユに生まれる。若い頃から社交界に出入りする一方で、文学を天職と見なして自分の書くべき主題を模索。いくつかの習作やラスキンの翻訳などを発表した後に、自伝的な小説という形で自分自身の探究を作品化する独自の方法に到達。その生涯のすべてを注ぎ込んだ大作『失われた時を求めて』により、20世紀の文学に世界的な規模で深い影響を与えた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
110
第1巻から自明なのだが、こんなところまで読み進めてきてあらためて思う。「私」はアルベルチーヌについて語る場面で次のように言うのだ「それがこのときすでに始まっていた」。そして、そのしばらく後には「もうこの世に存在しないアルベルチーヌ」という表現が現れる。「私」が、これを「書いている」現在時とはいつなのだろう。そして、もう1つの疑問は、この巻で語られるホモセクシュアル(ソドム)とレスビアニズム(ゴモラ)を対岸視し、ストレート(ヘテロ)の恋愛に耽る「私」の存在とはプルースト自身にとって何なのだろうということだ。2013/12/13
ケイ
100
副題が示すとおり、同性愛についての語りが始まる。親友の叔父シャルリュス氏と仕立て屋の会話を偶然に耳にして彼らの嗜好に気づく語り手 。その後は同性愛者である男性のタイプについての記述が詳細に続く。後半では、愛人であるアルベルチーヌをも含む少女の同性愛的戯れについても語られるが、私が女性だからか視点が意地悪く感じた。バルベック再訪により不意に胸を貫く祖母を失ったことへの痛み。若者の死への捉え方は概して冷たいものである。ある日突然にそれを自分自身で気付いた時の後悔が祖母との思い出を鮮やかにするあたりに共感した2015/11/04
s-kozy
69
ついに折り返したのかな?語り手は社交界でもそれなりの位置を得たようでこの巻でもゲルマント大公夫人の夜会に出る貴族達の会話や思考が長々と語られる。その内容は華麗ではなく、なんとも俗物的。「ヨーロッパの貴族も人間なのね」と思わさられる。そのパーティーと前後して語り手が目撃する同性愛の世界。少年の日の思い出からスタートした物語で語り手の成長が感じられた。その後、2度目のバルベックへ、語り手はアルベルチーヌに対しては子どもっぽい反応を見せる。差し込まれた「心の間歇」の章も重要。身内を亡くした者の罪悪感が描かれる。2017/01/14
夜間飛行
66
シャルリュスの秘め事の衝撃は単に彼が男色者であったという事実よりも、むしろ小説内に蓄積された謎が一気に弾けた事に因るだろう。ここまでの不可解な言動や、マルハナバチ・蘭・クラゲなど丹念な描写がソドム人の像と重ねられるに及んで、小説の色合いは変わってしまうのだ。光と思ったものが実はヤミ?…否、ここでは内部から弾けるザクロのように光と闇はほとんど一体となる。瀕死のスワンがユダヤに回帰する事、亡き祖母への愛が間歇的に甦りそれによって初めて死を実感する事…人の心の奥に隠されたものは開花せずにいない。静かなる哀しみ。2016/01/05
たーぼー
55
ソドムとゴモラ(ここでは同性愛)の多岐多様な含蓄は自ら同性愛者(妻がいたのでバイセクシャル?)であったプルーストの人間心理も垣間見れ大変興味深い。花と昆虫に喩えられるシャルリュスの求愛行動。ゴモラの住人であることが明るみになったアルベルチーヌ。こういった人達を性倒錯者と表現しながらもプルーストは良き理解者でもあったのだろう。そしてこの巻最大のテーマ『心の間歇』。いけすかないシャルリュスが兄ゲルマント公爵のある言葉で眠っていた亡き母への想いが甦り一時的に無垢な心を取り戻す彼にとっての『心の間歇』。続く2015/10/08