出版社内容情報
『死ぬまでになすべきこと』の故式田和子さんの娘が母を偲んでメモワール。母の言動やエピソードは全て人生の教訓。あなたに贈る親から子に継承する文化の玉手箱。
1、母は大きな舟であるとともに、ライバルでした。2、「眠れない夜はね」と母が真夜中にやっていたこと。3、母の携帯、笑い話。でもいまその主はいない。4、女としての美への挑戦、死ぬまで追究。5、「努力は見えないところでするもの」が信条。6、「ママにいっちゃダメよ」と孫の教育。7、娘の私に向かって「男らしく生きよ」。8、「がんばれ」と口には出さないが毎日激励電話。9、思い炬燵も一人で動かす。自分の背丈に合った生き方。10、母から受け継いだ着物を着る。母と娘の文化の継承。11、面倒な手術もためらいもなく受ける母に見た勇気。12、足が弱ったから記憶も弱ったの、お母さん。13、あの短気だった母が「怒るとエネルギーの損よ」。14、母がカゼ一つ引かなかったのは首作戦のおかげ?。15、その日のことはその日ではなく、午前のことは午前に。16、姑が亡くなる時の母の行動の意味、今ようやくわかりました。17、学芸会の出し物に「白波五人男」を。校長先生から大目玉。18、母は祖母から、私は母から料理を学んだ。そのノートは今もバイブル。19、小さいものを買うのはケチなのに大きい買い物は躊躇しない。20、「お金はあげるな捨てなさい」が母のお金の哲学でした……以上、
内容説明
『死ぬまでになすべきこと』の故式田和子さんの娘が母を偲んでメモワール。母から子に継承する文化の玉手箱。
目次
第1章 母は「大きな舟」でした。私もそうありたいと願っています
第2章 「女らしさ」も、男らしく生きることも母から学びました
第3章 いつも普通に暮らす、見えない努力を。母の人生訓でした
第4章 行動に意味がある、休みにも意味がある。母の暮らしぶり
第5章 「お祭りよ、恭子」。好きなことは徹底して求めた母
第6章 家族を何よりたいせつにした母。それが無限の愛でした
第7章 私がもたらした母の挫折。でも無言で応援してくれました
第8章 母から学んだお料理の数々。そのノートはいまも手元に
著者等紹介
式田恭子[シキタキョウコ]
昭和23年、父敬・母和子の長女として、東京・荻窪に生まれる。中学から大学まで学習院で学ぶ。昭和46年、学習院大学経済学部卒。29歳の時、アパレルメーカーに就職。独身となり元の姓に戻る。昭和59年、麻布にブティック「ブルーペティ」をオープン
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