講談社選書メチエ<br> “幕府”の発見―武家政権の常識を問う

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講談社選書メチエ
“幕府”の発見―武家政権の常識を問う

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  • サイズ 46判/ページ数 192p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784065413692
  • NDC分類 210.4
  • Cコード C0321

出版社内容情報

「幕府」とはそもそも何か――。中国の文献に現れる「幕府」という語が、日本で「武家政権」を示す概念用語として使われるようになったのは、江戸時代後期のことという。ではなぜ、織田信長や豊臣秀吉の政権は「幕府」と呼ばず、鎌倉・室町・江戸の三つのみを幕府と呼ぶのだろうか。ここに、700年にわたって権力の座にあった「武士」の本質と、その歴史理解に苦慮してきた近代の歴史家たちの格闘の跡が見て取れる、と著者はいう。
たとえば、明治10年に刊行された『日本開化小史』には、「幕府」という用語は出てこない。著者の田口卯吉は、文明史的視点から「鎌倉政府」「徳川政府」あるいは「平安政府」と記しているのだ。では、江戸時代の代表的な史論『読史余論』や『日本外史』ではどうか? 明治期の帝国大学の教科書『国史眼』では「幕府」をどう位置づけているのか?
武家政権の否定から始まった明治国家が、日本中世を西洋中世に比肩する時代と位置づけ、自国史の脱亜入欧を果たすべく編み出したのが、「幕府」すなわち「調教された武家政権」という再定義だった。そして、この「幕府」の概念は明治維新(大政奉還と王政復古)の正当性を規定し、さらに南北朝正閏論争や、現在も続く日本中世史をめぐる議論にも大きな影を落としているのである。
著者の長年にわたる中世武士団研究と、史学史研究を交差させ、「日本史の常識」を問い直す野心作。

目次
はしがき
序章 「幕府」の何が問題なのか?
第一章 幕府・政府・覇府:『日本開化小史』の歴史観
第二章 「幕府」の発見:『読史余論』から『日本外史』へ
第三章 近代は武家をどう見たか:『国史眼』と南北朝問題
第四章 「鎌倉幕府」か、「東国政権」か:中世東国史の二つの見方
終章 「幕府」という常識を問う
あとがき
参考文献



【目次】

目次
はしがき
序章 「幕府」の何が問題なのか?
第一章 幕府・政府・覇府:『日本開化小史』の歴史観
1 「武夫」が「鎌倉政府」を創った
2 自由人・田口卯吉の「天皇」と「覇道」
第二章 「幕府」の発見:『読史余論』から『日本外史』へ
1 「天皇王朝」の終焉と「武朝」の優位
2 尊王という評価基準
3 水戸学が生んだ「幕府観念」
第三章 近代は武家をどう見たか:『国史眼』と南北朝問題
1 本格的「日本通史」の誕生
2 調教された武家政権
3 南北朝正閏問題と幕府観
第四章 「鎌倉幕府」か、「東国政権」か:中世東国史の二つの見方
1 「幕府」と「関東」
2 「イイハコ」「イイクニ」問題
3 免疫としての「幕府」像
4 脱亜入欧と日本中世史
終章 「幕府」という常識を問う
あとがき
参考文献

内容説明

同じ武士でありながら、平氏や信長・秀吉の政権を「幕府」とは呼ばず、鎌倉・室町・江戸の政権のみを「幕府」というのはなぜだろうか。明治初期の歴史家・田口卯吉は「鎌倉政府」「徳川政府」と記し、江戸中期の新井白石は「王朝」に代わる「武朝」の優位を誇った。武士を否定した明治国家は、武家政権をどう理解したか。そして、脱亜入欧を目指す官学アカデミズムの新たな認識―「調教された武家政権」こそが〈幕府〉の本質だった。中世武士論と近代史学史の交差点から「日本」を問い直す。

目次

序章 「幕府」の何が問題なのか?
第一章 幕府・政府・覇府『日本開化小史』の歴史観
第二章 「幕府」の発見『読史余論』から『日本外史』へ
第三章 近代は武家をどう見たか『国史眼』と南北朝問題
第四章 「鎌倉幕府」か、「東国政権」か 中世東国史の二つの見方
終章 「幕府」という常識を問う

著者等紹介

関幸彦[セキユキヒコ]
1952年生まれ。学習院大学大学院人文科学研究科史学専攻後期博士課程満期退学。日本大学文理学部元教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。

パトラッシュ

123
鎌倉、室町、江戸の歴代武家政権を幕府と呼ぶ日本人の常識が、実は明治以降に史学用語として創られ定着したものだとは。「武朝」否定の上に成立した明治政府にとって、数百年にわたり忘れられていた「王朝」の優位確立は政治的に必須であり、脱亜入欧により成立した官学アカデミズムで国民に自らの正統性を理解させる手段として「幕府」は発見されたのだ。司馬遼太郎の歴史小説や大河ドラマでも登場人物は当然のように幕府と口にするが、当時はあり得なかったと知ると滑稽にすら感じる。しかし日本人の血肉化した常識を、今さらどうすればよいのか。2025/11/30

よっち

29
幕府とはそもそも何か。なぜ鎌倉・室町・江戸の3つのみを幕府と呼ぶのか。700年権力の座にあった武士の本質と、近代の歴史家たち苦慮してきた歴史理解を読み解く1冊。幕府が武家政権を示す概念用語として使われ始めた江戸時代後期、新井白石・頼山陽らの史論で用語が定義され、帝国大学の教科書などを経た定着過程や、明治政府が西洋に比肩する日本中世像を必要とする事情を明らかにして、鎌倉幕府の成立年代論や、東国国家論と権門体制論の対立なども論じていて、一般的な歴史用語にも様々な意図や背景があったことが伺えて興味深かったです。2025/11/24

ほうすう

11
「幕府」という用語の成立や定着について論じている。そのため直接的に鎌倉・室町・江戸期を取り扱うというよりも近世・近代における史学史的内容が主となっている。あくまでも天皇がいてその天皇が委任した武家権力が〈幕府〉である。いわゆる権門体制論的な発想のもとから近代において当時の天皇観のもと幕府の呼称が定着していった。という理解で良いのだと思うのだが内容的になかなか難しい。鎌倉幕府の成立年代についても論じている。個人的にはやっぱり建久年間(1190年,1192年)に置くべきではないのかなぁと思うのだけど。2025/10/26

Masa03

3
1192か1185ってレベルじゃねーぞ。 鎌倉、室町、徳川の「幕府」について、疑問を持ったことはなかったが、御家人の連合政府だった鎌倉、守護大名の連合政府だった室町と、徳川一強の徳川幕府でも実態は異なるのに、すべて一絡げに幕府と呼ぶのはなぜか、という問いを突きつけられる。 そもそも、同時代資料では今日的な意味での幕府という語は用いられていなかったというのも知らなかった。 では何時からそれら3つを幕府と呼び始めたのか、平家や織田、豊臣は幕府ではない理由を解いていく。 なかなか知的刺激に富んでいる。2025/11/26

Teo

2
或る意味で学校教育の影響だが「鎌倉幕府」「室町幕府」「江戸幕府」と習うとどれもこれも同じ幕府と思っちゃうが、もっと知識を増やして行けばそれらが同じ筈はなく、特に鎌倉幕府は当初は朝廷から武家の扱いを任されただけみたいな形で、それがジワジワ変化して行く。こうして最後には「幕府」の姿が出来て行くがこれが発見か。2025/11/21

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