講談社学術文庫<br> 臨済録のことば―禅の語録を読む

個数:
電子版価格
¥1,320
  • 電子版あり

講談社学術文庫
臨済録のことば―禅の語録を読む

  • ウェブストアに34冊在庫がございます。(2025年05月09日 10時54分現在)
    通常、ご注文翌日~2日後に出荷されます。
  • 出荷予定日とご注意事項
    ※上記を必ずご確認ください

    【ご注意事項】 ※必ずお読みください
    ◆在庫数は刻々と変動しており、ご注文手続き中に減ることもございます。
    ◆在庫数以上の数量をご注文の場合には、超過した分はお取り寄せとなり日数がかかります。入手できないこともございます。
    ◆事情により出荷が遅れる場合がございます。
    ◆お届け日のご指定は承っておりません。
    ◆「帯」はお付けできない場合がございます。
    ◆画像の表紙や帯等は実物とは異なる場合があります。
    ◆特に表記のない限り特典はありません。
    ◆別冊解答などの付属品はお付けできない場合がございます。
  • ●3Dセキュア導入とクレジットカードによるお支払いについて
    ●店舗受取サービス(送料無料)もご利用いただけます。
    ご注文ステップ「お届け先情報設定」にてお受け取り店をご指定ください。尚、受取店舗限定の特典はお付けできません。詳細はこちら
  • サイズ 文庫判/ページ数 272p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784065357217
  • NDC分類 188.84
  • Cコード C0114

出版社内容情報

問「仏とは何ぞや」
答「三斤の麻」
 一見ちんぷんかんぷんなこの問答。禅問答とはこのように不可解で、それを考え抜くことこそが修行だと思われてきた。しかし、問答が生まれた唐代の文脈に戻すと、思いがけないほど明晰で合理的なやりとりが立ち上がってくる。「ありのままで仏であり、仏性とともに躍動し、己れの外に何ら求める必要のない自己」を説いた臨済の生きたことばが、今あざやかによみがえる!

 唐代の禅僧、臨済義玄(?―866 / 867年)のことばを集めた『臨済録』は、我が国の臨済宗では「録中の王(語録の王)」とも称されてきた。しかし「聖典」となる以前、『臨済録』が本来伝えようとしたものは何だったのか。有名な「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺す」は、何を意味しているのか。
 夏目漱石や西田幾多郎、鈴木大拙など明治以降の知識人にも愛好され、欧米社会に輸出されて今やZENとして広く愛好されている禅理解は、いかなる解釈も受けつけぬ問答を旨とする宋代禅を起点としている。活気ある唐代禅から深淵な宋代禅へのダイナミックな転換、さらに日本の近代禅に続く禅問答の思想史を踏まえたうえで原典に向き合ったとき、『臨済録』の世界が了解可能な経験として、その豊かな姿を現し始める――。唐代禅の重要な特徴は「激烈な聖性否定の精神が、平凡な日常性の肯定と表裏一体になっている」ところにあると著者は言う。
 いきいきとした現代語訳で、臨済のやりとりが目の前で繰り広げられているかのように、あざやかに描き出される。清新な語録の世界!(原本:『『臨済録』――禅の語録のことばと思想』岩波書店、2008年)

【本書の内容】
プロローグ――古典としての禅語録

第1部 「柏樹子」の思想史――書物の旅路
第一章 唐代の禅
第二章 宋代の禅――圜悟と大慧
第三章 『無門関』から日本近代の禅理解へ

第2部 『臨済録』導読――作品世界を読む
第一章 臨済の説法
第二章 事(じ)已(や)むを得ず――臨済院の説法
第三章 傍家波波地(ぼうけははじ)――自らを信じきれぬ者たち
第四章 未だ見処(けんじょ)有らざりし時――若き日の臨済
第五章 仏法無多子(むたす)――黄檗との因縁
第六章 ふたたび「祖師西来意」――祖仏と別ならず
第七章 無事(ぶじ)是れ貴人(きにん)――修行の否定と平常無事
第八章 無位の真人(しんにん)
第九章 空中の鈴の響き――臨済と普化

エピローグ――鈴木大拙と二〇世紀の禅

内容説明

唐代の禅僧、臨済義玄のことばを集めた『臨済録』。「録中の王」とも称されてきた禅門の聖典だが、「聖典」となる以前に、この書物が伝えようとしたものがある。当時のことばと思想史に即して読みなおした時、「ありのままの汝こそが仏である」、そう迫ってくる臨済の活きた肉声がよみがえる―。清新な現代語訳が拓く、躍動感あふれる禅の語録の世界!

目次

プロローグ 古典としての禅語録
第1部 「柏樹子」の思想史―書物の旅路(唐代の禅;宋代の禅―圜悟と大慧;『無門関』から日本近代の禅理解へ)
第2部 『臨済録』導読―作品世界を読む(臨済の説法;事 已むを得ず―臨済院の説法;傍家波波地―自らを信じきれぬ者たち;未だ見処有らざりし時―若き日の臨済;仏法無多子―黄檗との因縁;ふたたび「祖師西来意」―祖仏と別ならず;無事是れ貴人―修行の否定と平常無事;無位の真人;空中の鈴の響き―臨済と普化)
エピローグ 鈴木大拙と二〇世紀の禅

著者等紹介

小川隆[オガワタカシ]
1961年生。駒澤大学大学院仏教学専攻博士課程満期退学。博士(文学)(東京大学、2009年)。駒澤大学総合教育研究部教授。専門は中国禅宗史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

いとう・しんご singoito2

10
臨済録を読むために一緒に借りてきましたが大正解。唐代と宋代の禅の不連続を明らかにした後、唐代の禅の姿を臨済録に依って解き明かした上で、宋代の禅に依って立った大拙の全体主義の容認や戦争肯定などを検討しています。私には唐代の禅は主知的、宋代の禅は反知性的に見えましたし、そのことが大拙や幾多郎のあまりにも安易な弁証法的思考を胚胎したということが見えてきて、非常に大きな学びとなりました。2025/02/25

さとうしん

10
「麻三斤」「柏樹子」など、今では意味不明なやりとりという意味での「禅問答」とされているものも、唐代にまでさかのぼると哲学を感じさせるような脈絡があったのだということと、それが宋代になると哲学的な脈絡を読み取る態度を「死句」と否定し、本来の脈絡と切り離して「活句」に仕立て上げたという話が面白い。禅問答に対するイメージが変わりそう。2024/05/20

黒い森会長

3
2008年「書物誕生」の一冊として刊行。まず、唐代の禅と宋代の禅の違いが、述べられる。宋代の看話禅(公案禅)になり、唐代の問答が文脈から切り取られ、問と答の問題集のようになる。それにより意味が全く訳が分からなくなるが、そのことで、大悟させようと意図している。第2部は、唐代の語録である「臨済録」を読んでゆく。そして、エピローグで、鈴木大拙を扱い、近代の禅を考える。短いが、参考文献には最近の研究も取り入れられ、禅の本としては、わかりやすい。2024/08/23

外部のウェブサイトに移動します

よろしければ下記URLをクリックしてください。

https://bookmeter.com/books/21914357
  • ご注意事項

    ご注意
    リンク先のウェブサイトは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」のページで、紀伊國屋書店のウェブサイトではなく、紀伊國屋書店の管理下にはないものです。
    この告知で掲載しているウェブサイトのアドレスについては、当ページ作成時点のものです。ウェブサイトのアドレスについては廃止や変更されることがあります。
    最新のアドレスについては、お客様ご自身でご確認ください。
    リンク先のウェブサイトについては、「株式会社ブックウォーカー」にご確認ください。

最近チェックした商品