出版社内容情報
敗戦から70年以上が過ぎ、元号も2度あらたまって、いよいよ昭和も遠くなりつつある。「もはや「戦後」ではない」という宣言から数えてもすでに60年以上が経った。しかし、私たちが生きているのは、今なお「戦後」なのではないだろうか。毎年、戦後何年になるかを数え、ことあらば「戦後初」をうたう。私たちが生きている時間は、つねに「戦後」を起点とし、「戦後」に規定されている。これはいったいなにを意味しているのだろうか。令和の時代を迎えても加速する一方の「息苦しさ」、「生きづらさ」は、実はこの「終わりなき戦後」の終わらなさにこそ原因があるのではないか――。
本書は、「戦後」という幸福な悪夢の外側に、どうにかして越え出るために、昭和・平成を貫く時代精神の真の姿を映し出す試みである。
太宰治の絶望、ゴジラに仮託された不安、力道山が体現した矛盾、さらにオウム真理教という破綻と癒えることのない東日本大震災の傷。戦後日本社会の精神史は、東京オリンピックや大阪万博、インターネットの普及など華やかな出来事や物質的豊かさの影で、それを支えるためにそこから排除されてきた人々の嘆きと悲しみの声に満ちている。その声に耳を傾け、「息苦しさ」と「生きづらさ」の根源から目を逸らさず、その姿を受けとめること。「戦後」を終わらせるため、声高になることなく、著者は静かに繰り返し私たちに語りかける。
うわべだけの「幸せな日本人」を脱ぎ捨て、敗戦から日本社会が抱えこんできた絶望を直視したときにはじめて、希望もまた輝きはじめる。「終わりなき戦後」から、かけがえのない一歩を踏み出すのための、時代に捧げる鎮魂歌。
内容説明
毎年、戦後何年目かを数え、ことあらば戦後初をうたう。私たちは今なお「戦後」という時間のなかを生きている。便利で豊かで、息苦しさが募るばかりの「戦後」はいつ終わるのか。太宰治の絶望、ゴジラに仮託された不安、力道山が体現した矛盾、オウム真理教という破綻と癒えることのない東日本大震災の傷。急激な経済発展の裏側で切り捨てられた人びとの声に耳を傾け、敗戦で抱え込んだ矛盾を直視する時、はじめて「戦後」の外側が見えてくる。「戦後」に訣別するための、二つの時代に捧げる鎮魂歌。
目次
第1章 「戦後」というパンドラの匣―太宰治からの問い
第2章 失われた言葉―東日本大震災と「否認」の共同体
第3章 謎めいた他者―ゴジラと力道山、回帰する亡霊たち
第4章 真理の王―オウム真理教と反復される天皇制
第5章 民主主義の死―シラケ世代と主体性論争、そして戦争のトラウマ
第6章 戦後の「超克」―沢田研二、その空虚な主体の可能性
著者等紹介
磯前順一[イソマエジュンイチ]
1961年、茨城県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退。博士(文学)。現在は国際日本文化研究センター教授。専門は宗教学、批判理論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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