講談社学術文庫<br> ホモ・ルーデンス―文化のもつ遊びの要素についてのある定義づけの試み

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講談社学術文庫
ホモ・ルーデンス―文化のもつ遊びの要素についてのある定義づけの試み

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  • サイズ 文庫判/ページ数 400p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784062924795
  • NDC分類 209
  • Cコード C0120

出版社内容情報

遊びこそが人間活動の本質、文化の根源である。「遊びの相のもと」に人類の歴史と文化の再構築をこころみた文化史研究、不朽の古典。「人間の文化は遊びにおいて、遊びとして、成立し、発展した」。歴史学、民族学、そして言語学を綜合した独自の研究は、人間活動の本質が遊びであり、文化の根源には遊びがあることを看破、さらに功利的行為が遊戯的行為を圧する近代社会の危うさに警鐘を鳴らす。「遊びの相の下に」人類の歴史の再構築を試みた不朽の古典をオランダ語版全集から完訳。

ヨハン・ホイジンガ[ヨハン ホイジンガ]
著・文・その他

里見 元一郎[サトミ モトイチロウ]
翻訳

内容説明

「人間の文化は遊びにおいて、遊びとして、成立し、発展した」。歴史学、民族学、そして言語学を綜合した独自の研究は、人間活動の本質が遊びであり、文化の根源には遊びがあることを看破、さらに功利的行為が遊戯的行為を圧する近代社会の危うさに警鐘を鳴らす。「遊びの相の下に」人類の歴史の再構築を試みた不朽の古典をオランダ語版全集から完訳。

目次

文化現象としての遊びの性格と意味
言語における遊びの概念の構想とその表現
文化を創造する機能としての遊びと競い合い
遊びと裁判
遊びと戦争
遊びと知識
遊びと詩
形象化の機能
哲学のもつ遊びの形式
芸術のもつ遊びの形式
「遊びの相の下に」立つ文明と時代
現代文化のもつ遊びの要素

著者等紹介

ホイジンガ,ヨハン[ホイジンガ,ヨハン] [Huizinga,Johan]
1872~1945。オランダの歴史学者。ライデン大学教授、同学長を務める

里見元一郎[サトミモトイチロウ]
1929年生まれ。旧制静岡高等学校、東京大学文学部西洋史学科卒業。清泉女子大学名誉教授。専攻は中世史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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ころこ

42
「遊びは我々の意識にとっては真面目さに対立する。この対立は一応遊びの概念それ自体と同じく、他の概念に置きかえられないものと考えられる。しかし、より仔細に見るならば、遊びと真面目の対置はまだまだ本当に釣り合ったものでも確定したものでもないことは明らかだ。」「遊び」は真面目と不真面目の間にあり、むしろその対立概念を無効化する。それ自体が目的である「遊び」は、子供の行為として擬せられる。子供の象徴である無垢さ、純真さは、むしろ崇高な行為として神に直結している。真面目か不真面目をしている意識には、人間の本性は宿ら2019/08/24

ころこ

38
遊びを裁判、戦争、知識、詩などと比較してはいるが、副題のようには「遊び」が定義づけられている印象はない。私見だが「遊び」とは、合理性を追求する近代からみて、逸脱したものに対して近代的視座から理解しておきたい拘束から生まれているのではないか。戦いや合理的作業でも、それが自己目的化した場合は、遡行的に「遊び」となる。言葉の自己目的化は詩であるし、表現の自己目的化は芸術だ。文化自体が「遊び」ととらえられるのは、そう意図しない前近代的な活動の一般が、もっぱら合理性を目的としないからだ。著者が近代に倦み、中世に思い2023/07/13

かんがく

7
法律、闘争、哲学、芸術、すべての文化の基盤には「遊び」がある。とにかく著者の知識の範囲が広すぎて感嘆。2022/04/15

ちゅん

6
世界を俯瞰するやり方はあまたあれど、「遊び」の視点でやるのはこの本くらいではないでしょうか。「遊び」で人類の歴史を再構築するという名著です。「遊び」それは、自発的な行為もしくは業務であって、それはきちんと決まった時間と場所の限界の中で、自ら進んで受け入れ、かつ絶対的に義務付けられた規則に従って遂行され、そのこと自体に目的を持ち緊張と歓喜の感情に満たされ、ありきたりの生活とは違うもの。とのことです。すると、世の中の文化の多くは遊びの範疇になってしまうかもしれませんね。2018/05/16

iwtn_

3
タイトルの通り、遊びから人間とその文化を定義付ける試み。真面目との対比や、近代において様々に遊ばれていたスポーツや芸術が真面目になることや功利主義との結びつきによって遊びの要素が減っていることなどには共感した。チェスなども競技性が高まり過ぎていて既に遊びとは言えなくなりつつあるのかもしれない。とは言え、奉納将棋などはまだ神事であることの名残ではある。 文化が遊びから生まれたとして、文明は何から生まれたのか?という疑問を思いつく。それは真面目と負債からなのではないか?よって次に読むのは仕事とは何か?になる。2021/05/29

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