内容説明
かつて姉妹漫才で鳴らした鈴子・鈴江。今はカンペキ主婦に身をやつす姉と、独身の物書きとして芸界の周辺に生きる妹。正反対のようで同じ血縁という強烈な磁力に搦めとられて彷徨う二人の日常の背後に、狂女逆髪と盲法師の姉弟が織りなす謡曲「蝉丸」の悽愴な光景を幻視、富岡節ともいうべき強靭な語りの文体で活写。『冥途の家族』『芻狗』等、家族や性をテーマに書き続けてきた著者の到達点とされる傑作。
著者等紹介
富岡多惠子[トミオカタエコ]
1935・7・28~。小説家、詩人。大阪市生まれ。大阪女子大英文科在学中に小野十三郎に師事、1958年「返禮」でH氏賞、61年「物語の明くる日」で室生犀星詩人賞。70年代から小説に転じ、74年『植物祭』で田村俊子賞、『冥途の家族』で女流文学賞、77年「立切れ」で川端康成文学賞、97年『ひべるにあ島紀行』で野間文芸賞を受賞。近年は評論に新境地を拓き、2005、06年『西鶴の感情』で伊藤整文学賞、大佛次郎賞の両賞を受賞する等、高い評価を得ている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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A.T
21
4月に亡くなられた富岡さんを偲ぶ読書…8冊目。1988年「群像」連載。母、女というもののジェンダーを扱ったテーマの作品の発展系かな。勝手に女の腰に手をまわしてくるおっさん、職業不詳の元恋人、オネエ、オーエルに違和感を持つ脱サラの女、子ども時代を奪われた元姉妹芸人、次々に男を乗り換えた母… 登場人物の構成が面白すぎ。日本版アルモドバルの映画みたいな。しかし、大阪生まれの富岡さんは単なる現代劇にはしない。アルモドバルがどちらかというとSFや未来の世界観なのに対して、富岡さんは過去にスリップするのがミソ。2023/07/09
あ げ こ
3
健全さを尊ぶ社会の中で、絶えず好奇の目に晒され続ける異形のものたち。手垢で汚れた幻想として、無理ある甘言として、彼等が砕くものは、性を要する関係性に抱かれがちな、美しき理想。その身も蓋もない本質を抉り出す、辛辣な言葉の勢いに、まず圧倒される。おどけた物言いの中に、自らの異形を潜ませた主人公の語り口。冗談の応酬で互いの本心を牽制し合う、姉妹の間に保たれた均衡は、危うくも強固。器用なように見えて、その実不器用に、孤独に、苦しんでもなお、たくましく、鮮やかに生き抜く女性たち。腹立たしいほどに痛快であると感じる。2014/04/26
rinakko
2
いったい誰が逆髪だったんだろう。 いや違うな、逆髪にならずに逃げおおせた女はいたのだろうか…と、問うべきなのだ。 弟・蝉丸の盲目と言う障害に対して、髪の毛がすべて逆立って生えているという姉宮・逆髪の異形の凄まじさと言ったらどうだろう――。 2008/04/29
にゃんちゅう
1
幼少期世間を賑わせた竹の家鈴子・鈴江の姉妹漫才師。中年になり鈴江は友人・泉に鈴子の伝記?を書かないかとノせられ鈴子とアノお母ちゃんについて語りはじめる。そのうち鈴子の娘、明美が鈴江を訪ねてきて… 姉妹の老いや死についてのユーモア溢れる会話が絶妙。 男は全員どうしようもないクズか影の薄い廃人ばっかりで、ゲイのケイ子さん(感情派、養女志願)やバイの木見さん(理屈派、不思議の家所望)など思考的に対立する人が魅力的。また読む。 2018/04/11
TABO
1
それほど、家や血縁に左右される中で、生きていくことは大変だ。無意識の内にその束縛から逃げたいという感情が芽生えるが、やがては消えてがんじがらめのクモの巣にひっかかってしまっている自分を意識する。この感情は一生消えない。その束縛をどこかで納得しながら生きていることを思い起こしてくれる小説だった。2015/04/29