講談社現代新書<br> リアルのゆくえ―おたく/オタクはどう生きるか

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講談社現代新書
リアルのゆくえ―おたく/オタクはどう生きるか

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  • サイズ 新書判/ページ数 327p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784062879576
  • NDC分類 361.5
  • Cコード C0236

出版社内容情報

知識人は、怒れる若者に希望を語れるか。サブカルチャーは人を救えるか。言葉は無力か。
僕らはどんな時代を生きているのか。
「わかりあう」つもりのない二人が、国家論、表現論まで、徹底的に論じあう。

【目次】
第1章──消費の変容
第2章──言論の変容
第3章──おたく/オタクは公的になれるか
終章──秋葉原事件のあとで

第1章──消費の変容
第2章──言論の変容
第3章──おたく/オタクは公的になれるか
終章──秋葉原事件のあとで


大塚 英志[オオツカ エイジ]
著・文・その他

東 浩紀[アヅマ ヒロキ]
著・文・その他

内容説明

「知識人」は希望を語れるか。「世代間闘争」の末に見えた地平は?いまの日本は近代か、それともポストモダンか?サブカルチャーの諸問題から国家論まで、「わかりあう」つもりのない二人が語り尽くす。

目次

はじめに 世代間闘争について
第1章 二〇〇一年―消費の変容(なぜ物語に耐えられないのか;見えない権力システム ほか)
第2章 二〇〇二年―言論の変容(雑誌は誰でも作れる;論壇誌でいかに語るか ほか)
第3章 二〇〇七年―おたく/オタクは公的になれるか(メタ化するか、空気を読むか;啓蒙か、ガス抜きか ほか)
終章 二〇〇八年―秋葉原事件のあとで(同時代の事件に責任を持つ;彼らは何に怒っているか ほか)

著者等紹介

大塚英志[オオツカエイジ]
1958年、東京都生まれ。筑波大学卒。評論家、小説家、漫画原作者、編集者。神戸芸術工科大学教授、東京藝術大学大学院映像研究科兼任講師、博士(芸術工学)。著書に『「捨て子」たちの民俗学』(第五回角川財団学芸賞受賞、角川書店)など

東浩紀[アズマヒロキ]
1971年、東京都生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。哲学者、批評家、作家。東京工業大学世界文明センター特任教授、博士(学術)。専攻は現代思想、表象文化論、情報社会論。著書に『存在論的、郵便的』(第二一回サントリー学芸賞受賞、新潮社)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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harass

85
先日読んだ大塚本に感心し手にとる。2001、2002、2007、2008の4つの対談をまとめたもの。正直副題は関係無い。2つの世代のオタク系評論家の違いがよく分かる。各対談でそれぞれ変化していくのも分かる。批評ということなどに関して、大塚が東に絡んで問い詰めるのがスリリング。当時も現在も続く論壇などの状況について、誠実な部分がある二人それぞれに同情してしまう。大塚の来歴を初めて知った。誤解されるのも承知の姿勢にいろいろ納得した。二人のファンであれば。2018/08/31

ころこ

42
大塚がピキッてしまう原因は、注を全削除した3章にあります。その唐突なやり方を、東は遠回しに批判します。①大塚は「でも景気が良くなれば君や君の世代の思想は変わるんだろうか。」という感じなので、東以降のロスジェネ世代とバブル以前に社会に出た逃げ切り世代の大塚が、社会のどこに信を置くかのギャップは顕著です。当時の東は情報技術の発達による環境型管理権力に信を置きすぎていて、動物化というキーワードに代表される人間観を前面に押し出します。後に東の価値観は変わり、動物化は観光客というキーワードになります。この対立点は東2019/09/05

しゅん

25
ざっくりいってしまうと、「啓蒙的であるべき」という大塚と、「啓蒙が通じないから別の方法を探るべき」とする東の対立がひたすらに続く四回の対談。不毛なように思えて、しかしこれがとってもおもしろい。おそらく二人とも同じような苛立ちを抱えているのに、誠実に対応しようとするほどすれ違うのは切ないことだけど。前半で、新海誠の登場時の真新しさが語られていて、今読むとなるほどそういう出発点かと興味深く感じる。2019/04/10

白義

16
初読時はプロレスしてるだけに見えて頭に残らなかったけど、今回は結構細かいところも楽しめた。やるなあ大塚英志、という印象で、東浩紀に批判的読者が感じる違和感の大半に噛みついているのはさすが。要は、東浩紀の理論自体が、シニシズムや現状肯定の種に使われないか、とか実存や公共性を無視できるのか、というわけで、暑苦しいが面白い反応を引き出している。実感や論理の当否は東にありそうなのだけど、パッションをあえてそこにぶつけてるのはいい。東が後のβ2序文や一般意志2.0に繋がるコメントを残しているのがなにげに見所2012/06/14

はすのこ

13
評論とは私的活動であり、私のやりたいことをただやっているだけと語る東。評論とは公的活動であり、そこには責任が伴い、人を変えていくべきと語る大塚。公私混同の殴り合い…評論とは、批評とは、どう定義化するのが、正しいのだろうか。政治的には、リバタリアンの東とコミュにタリアンの大塚。対極的思想の二人だもん。口喧嘩になるよね…2016/03/31

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