内容説明
ランボオ、ドストエフスキィから本居宣長まで―小林見通した「日本人の知恵」はどこへ行ったのか。
目次
第1章 ランボオ―宿命との出逢い
第2章 ドストエフスキイ―生きる悲しみ
第3章 「故郷を失った文学」から『無常という事』―歴史の試み
第4章 『モオツァルト』からベルグソン―「たま」としての母
第5章 『本居宣長』―あやしさの伝説
著者等紹介
佐藤正英[サトウマサヒデ]
一九三六年、長野県生まれ。一九五八年、東京大学文学部卒。現在、東京大学名誉教授。専攻は、倫理学・日本倫理思想史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
koji
15
本書における著者の小林秀雄論を私なりに要約するとー小林の言葉は印象的なレトリックを駆使し読者を魅了するが、その本質は、一人一人の作家論に長い年月をかけ論じながら、近代日本における形而上の存在の在り様を追求する事。では日本の形而上の存在とは何か。それは歴史。しかも文明の進歩拡大を担う選良層による歴史ではなく、土俗の人々の生活感情の基底に流れている国民の知恵です。しかし小林は、形而上の存在の対象化を突き詰めることを躊躇います。著者は、この躊躇いを肯定的に捉えますー結論に疑問はありますが、考えさせられた書でした2020/09/19
メルセ・ひすい
0
10. 09 ランボオ ドストエフスキー モオツァルト 『本居宣長』 知識人をめざす人必読! 読めば知識の泉湧く。 世界が広がります。 小林秀雄が見通した「日本人の知恵」はどこへ行ったのか? ランボオ、ドストエフスキイから本居宣長まで、できるかぎり小林に身を寄せつつ、後代の読者である論者に即するかたちで、彼の思想をなぞり明らかにする。2008/05/28