内容説明
祈りによって人々に安心と喜びをもたらす、仏法の徒たる僧侶たち。しかし、中世という時代がはじまるにつれて、彼らの中には武器をとって、合戦を引きおこし、人々に恐怖を与えた者たちがあらわれた。暴力と祈りの力をあわせもつ彼らは、いかなる原理のもとに行動したか。比叡山延暦寺を舞台に、多彩な「悪僧」たちが跋扈し、「冥顕の力」をもって世俗権力、社会とわたりあう姿を描き出す。
目次
序 祈りと暴力の中世史
第1章 悪僧跋扈の時代
第2章 冥顕の中世
第3章 天台仏法の擁護者・良源
第4章 恠異・飛礫・呪詛
第5章 霊験と帰依
第6章 都鄙を闊歩する大衆・神人
第7章 強訴とはなにか
第8章 善なる大衆の時代へ
結 中世と現代の間
著者等紹介
衣川仁[キヌガワサトシ]
1971年、京都府生まれ。京都大学大学院文学研究科博士後期課程国史学専攻研究指導認定退学。現在、徳島大学大学院ソシオ・アーツ・アンド・サイエンス研究部准教授。専攻は日本中世史(中世社会と仏教について)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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HANA
66
僧兵というと宗教施設の私兵、上層部に使われる俗な集団。というイメージが今まであったが、本書を読んでそんな古い印象は一層された。本書は主に平安時代の比叡山を中心に、社会形態と寺院の在り方の変化や「冥顕の力」というものをキーワードに僧兵を読み解いていく一冊。まず冒頭の天台座主になった悪僧という部分から度肝を抜かれる。その後も名高い元三大師が暴力を上手く操作していた事や、強訴の発生とそれが単なる暴力ではなく訴訟の一形態である事等、どこを読んでもまさに目から鱗。サブタイトルの祈りと暴力の意味がよくわかりました。2022/07/24
Toska
21
現代人の宗教観をプリズムとした場合、僧兵はどうしても堕落したグロテスクな存在と映らざるを得ない。だが中世人の目を通して見たらどうだろう?神仏が圧倒的な存在感を持ち、「冥顕の力」が社会を覆い尽くしていた時代において、宗教者の行動も現代とはまるで異なる規範に従っていた。中世仏教の奥深さが体感できる一冊。こういう本を読むと、「日本人は伝統的に無宗教」などというたわごとはとても口にできなくなる。2025/01/30
サケ太
19
僧兵という存在。悪僧というものがどのように扱われてきたのか。僧侶に求められていた役割。目に見えざる力に対抗する力を持つと期待されていた人々。《冥顕の力》の中で構築された、秩序。その形成と変化。祈りと暴力の後ろ盾となっていた神仏。それは、神仏とは関係のない暴力の広がりによって、繋がりが弱まっていく。だが、その在り方が無くなった訳ではないのは、現代でも分かってしまう。2021/04/29
luadagua
8
平家物語に度々登場する僧兵とは、どんな存在なのだろうと思っていたのだが、本書を読んでみると複雑な事情が背景にあったことがよくわかった。しかし、端的に言えば僧兵は「瞑顕の力」でもって神仏の怒りを体現した神仏と人間の橋渡し的な存在であったという。また、悪を打倒するには自らも悪になることを辞さず、どんなやり方でも護法を遂行するという姿勢はなかなかカッコいいかもしれない。おもしろい本ではあるんだけど、自分には読みづらくてけっこう苦心してしまった。2025/03/16
feodor
7
延暦寺僧兵をメインに扱った論考。一般的な僧兵=暴力的な破戒僧、または僧侶の堕落と武装化という考えに対してメスを入れ、兵農分離の倫理観から僧兵=悪/堕落の図式がそのままにされていることに注目し、実際には数の威圧と、何より神威による威圧はあったものの武力としての僧兵はそれほど重要ででなく、かつ実際の武力闘争は多くはなかったことを論証。僧兵による神威を利用した圧力に対して、〈王城の論理〉を利用して徹底的に立ち向かおうとした摂関家の藤原師通の存在もクローズアップされ、師通という存在にも興味がわいた。2011/01/06
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