講談社選書メチエ
“主体”のゆくえ―日本近代思想史への一視角

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  • サイズ B6判/ページ数 245p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784062584838
  • NDC分類 121.6
  • Cコード C0310

内容説明

「主体」はもちろんsubjectの翻訳語である。明治以降、この語がわが国に入ってくると、「主観」「主体」「主語」などさまざまな翻訳語があらわれる。たとえば西田幾多郎は、初期は「主観」をつかっているが、後期になると「主体」しか出てこなくなる。この移行ははたして何を意味するのだろうか。戦後には、「主体性論争」がわき起こり、たとえば学生運動では「主体性」という言葉がキーワードとなった。明治期の受容から、戦後、そして現代に至るまで、それぞれの時代の趨勢となった思想に伏流する「主体」を追い続け、日本近代思想史にあらたな視座を提供する、知的興奮にあふれた一冊。

目次

序章 「体」のシニフィアン群
第1章 subjectの由来
第2章 翻訳語創出
第3章 主観から主体へ
第4章 先駆ける歴史的人間学
第5章 主体・身体・国体
第6章 戦後主体性論争
第7章 叛乱/氾濫する主体
終章 主体の消失?

著者等紹介

小林敏明[コバヤシトシアキ]
1948年、岐阜県生まれ。1996年、ベルリン自由大学学位取得。ライプツィヒ大学教授資格取得を経て、ライプツィヒ大学東アジア研究所教授。専攻は、哲学・精神病理学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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とみた

5
要約や翻訳、わかりやすく語ることに問題はないのかという問いから「主体」という言葉のシニフィアンの戯れ(主体と主権の同一視等)をsubjectの由来のヒュポケイメノンから京都学派、マルクス主義受容、学生運動における主体史を分析した本。主体史や主体は死んだかという問いは面白いが、要所要所で各哲学者の要約がされており、わかりやすく語ることも主体と同様清算できないものであることが示されており、この問題の根の深さを感じさせた。2013/03/05

左手爆弾

1
著者は西田幾多郎を初めとする日本思想史の研究者であり、本書も一応西洋での<主体>の議論を扱いはするが、本筋は日本思想史上での問題をとりあげている。著者は最後に「主体性という言葉は徐々に失われてきた」というようなことを言っているが、個人的には未だに「主体性」への根強い要請があるように思われる。だが本書を読めば明らかなように、この「主体性」という言葉の中身(シニフィエ)は誰も彼もよくわからない類のものではないか。従って我々は、やたらと「主体性」を担ぎ出す人間の言葉には慎重に耳を傾けねばならない。2012/08/24

rassy0

0
京都学派むずかちぃ。要再読?2018/06/07

my_you

0
マルクス主義と軌を一にして(歴史の)主「体」が現れてきた、という話が面白い。2014/09/01

Ikkoku-Kan Is Forever..!!

0
「主体性」の「純化」によって、「主体性」の意味が、「自己を支える基盤を自己で創作せねばならぬ自己」のあり方として突きつけられたとするならば、その後の主体の脱構築と消失という現象は、より本質的にいえば、「創作せねばならぬ」その目的すら失ったことにあるのではないか。(自分探しという名の後退!)どうしてそういう現象が起こるのか。如何にすれば確固たる主体の構築は可能なのか。そうした「主体」を形成することは、やはり、その「作為」の意味(目的)を徹底的に認識しこれを問うことでしかありえないのではないか。世の中厳しいな2012/11/16

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