内容説明
フロイトの開いた人間存在の最奥に位置する問題へと踏み込んでいったラカン。「シニフィアン」をはじめ独特の諸概念を生み出したセミネールの議論をたどり、「他者がある」ことに向けられた問いとの格闘の軌跡をたどる。
目次
序章 精神分析のモーセ
第1章 フロイトからラカンへ―「危機」の相続人として
第2章 精神分析への道―パラノイア・文学・戦争
第3章 「シニフィアン連鎖」の思想
第4章 エディプスコンプレックスと「グラフ」―王国の地形図
第5章 大他者の基層―脱出の経路を求めて
第6章 「ディスクール」と「性別化」―砂漠の住まい方
著者等紹介
原和之[ハラカズユキ]
1967年生まれ。東京大学教養学部卒業。同大学大学院地域文化研究科博士課程単位取得退学。パリ第四大学博士課程(哲学史)修了。専攻はフランス思想、精神分析、メディア論。現在、電気通信大学人間コミュニケーション学科講師
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感想・レビュー
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koke
9
ラカンの言語学的な面は、否定神学的と批判されることが多い。だが、本書にある「言語の壁をはさんで向かい合う二つの主体の対称的な無力」という言葉は、人間の置かれた状況を言い当てていると思う。たとえば私の場合、他人の言わんとすることを理解しようとして、可能な意味の集合(大他者)に検索をかけてはフリーズする(あれか、これか、あるいは…)。少々狂気じみているが、逆に他者の望むことを完璧に知ることができると思うのも狂気だ(パラノイア)。分かるような分からないような他者たちと、何とかやっていくしかないのだろう。2022/05/13
♨️
4
一つ一つの矢印や、グラフの大きな見方を説明してくれる第四章を通して「欲望のグラフ」がようやく読めるようになった感じがする。「性別化の式」「ディスクール」を扱う第六章はわからんかった。フロイトを引き継ぎながら、ラカンが彼自身として問題にしていたのが「他者がある」とはどのようなことか、という問いであったことを(欲望のグラフもこの問いに明瞭な形でつながっている)モーセになぞらえながら説明していく全体の構成は素晴らしいと思う。原典を読む際のヒントにしたい。2019/06/06
yoyogi kazuo
0
何が書いてあるのかよく分からなかった。2022/12/31
yu-onore
0
「他者があると信じる」人間の王国からの脱出を促したモーセとしてのラカン。前半は分かりやすいけど後半は難しさがあった。 面白かったので再読したい2020/10/20