出版社内容情報
すべてを奪い去った3・11の津波。遺体を家族のもとに帰しつづける歯科医の背中が、壊滅状態の故郷の人々を復興に立ち上がらせた!岩手県釜石市の鵜住居地区。600人を超える犠牲者を出したこの地区で、現在も歯科を営む佐々木憲一郎さん(45)は、妻で看護士の孝子さん、5歳の女の子・まおちゃん、2歳の男の子・かずくんと暮らしています。
被災直後からプレハブの仮設診療所で地元の人たちの治療に当たった佐々木さんは、半壊した医院を再建しながら、だれもいなくなってしまった壊滅状態の町にとどまることを選択しました。それは、かろうじて助かった地域の人々の歯の治療とは別のもう一つの仕事、遺体を家族のもとに帰すという照合作業をつづけているからです。
津波は家屋など、人々の生活の痕跡すべてを奪い去ります。こうした場合、ある遺体の身元を特定しようとしたとき、DNA鑑定は役立ちません。亡くなる前のその人の髪の毛などを手に入れることが不可能なので、鑑定ができないのです。
一方、日本では歯科医にかかったことのない人はほとんどおらず、遺体の歯とカルテを比べて身元を判別する方法は、こうしたケースではいちばん確実です。日航ジャンボ機墜落事故でも、もっとも有効な方法として用いられました。
佐々木さんの医院では「うちの孫の身元確認してくださってありがとう」「うちのばあちゃんは、まだ、見つからねえんだ」といった会話が飛び交っています。
佐々木さんは言います。
「3年も経って、家族がまだ見つかってない人たちは、本当にどんな思いでいるんだろう、それはもう、想像に絶します……。あのとき妻がカルテの棚にガムテープを張っていなかったら、地域のみなさんの身元はいまもわからないままだったでしょう」
このセリフのとおり、妻の孝子さんが津波から逃げる前に守ったのは、患者さんの情報がつまったカルテの棚でした。そのカルテこそ、地元の人たちが、たいせつな家族の死を受け入れ、明日への一歩を踏み出すのに、大きく役立ったのです。
人々が気持ちに節目をつけられるよう、誰もが目を覆ってしまうような辛い作業をつづける佐々木さんを見て、地元の人たちは勇気をもらいました。そして、「もういちど、鵜住居地区の復興を」と立ち上がったのです。
ユネスコ世界遺産に推薦された釜石市で、ひとりの歯科医の信念が生み出した、感動のドキュメンタリー。
※変更アリ
【はじめに】
【第一章】
診察室から聞こえてくる会話
「カルテの棚の扉を」
「海が、動いてる……」
命を守るたたかい
【第二章】
変わりはてた町
残っていたカルテ
警察官とデータを取りに行く
カルテを洗う日々
なぜ、「歯のデータ」が役に立つのか
世界一、歯医者さんに通っている日本人
航空機事故や森林火災でも活躍
【第三章】
小笠原登久さんの場合
頬の粘膜を取られていた女の子
「DNA」って、なんだろう?
「ウ396」の写真
火葬される前にご遺族へ!
見違えるように復元された登久さん
【第四章】
鵜住居で生きていく覚悟
診療再開!
入れ歯にも特徴がある
「やはり旦那さんに間違いないんです」
【第五章】
テレビで報じられた子どもの遺体
遺体のデンタルチャートは?
避難所から娘と孫たちを捜し歩いた
歯科医師の役割の大きさ
遺体が別人だと証明する力
【第六章】
震災後に出始めた自殺者
地元の新聞に載った「声」
陽ちゃんとおばあちゃんのカレー
防災センターの「終わらせ方」
これから起きる巨大地震に備えて
柳原 三佳[ヤナギハラ ミカ]
著・文・その他
内容説明
岩手県釜石市の歯科医・佐々木憲一郎先生は、東日本大震災で犠牲となった遺体の歯とカルテを見比べながら、遺体を家族のもとに帰しつづけています。それを可能にしたのは、妻の孝子さんが津波から守った「泥だらけのカルテ」でした。歯科医の信念が、地域の人々を復興へとかりたてたのです。小学上級から。
目次
第1章 「あの日」のささき歯科医院
第2章 歯のデータ
第3章 DNAの限界
第4章 死を認めたくない
第5章 問題の「子どもの遺体」
第6章 故郷のこれから
著者等紹介
柳原三佳[ヤナギハラミカ]
1963年、京都市生まれ。ノンフィクション作家。交通事故、司法問題をテーマに執筆、講演を行う(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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