ラスト・ライティングス

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  • サイズ B6判/ページ数 514p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784062186964
  • NDC分類 134.9
  • Cコード C0010

出版社内容情報

翻訳が待たれて久しかったウィトゲンシュタイン最晩年の遺稿集、ついに刊行!言語、心、知覚など死の直前まで続けられた珠玉の思索!言語、心、知覚、意味、数学など、ウィトゲンシュタインは、自らの終生を貫く哲学問題を、最後まで、どのように考え続けたのか。その深く、魅惑的な思考の肌ざわりを、最良の日本語で贈る圧巻の訳業!

「他人が痛みを感じている」ことは、果たして理解できるだろうか。もはや哲学史上の有名なテーマにまでなった「痛み」の問題。ウィトゲンシュタインの最後の思考とは? それでは、「他人が痛い振りをしている」ことは、理解できるだろうか?
ここには、すでに「他我問題」の深い陥穽がみえている。

あるいは、「ウサギ=アヒル頭」図。見方によっては、ウサギにもアヒルにも見える絵。では、「これはアヒルだ」と一瞬ひらめく現象とは、なんなのだろうか。ウィトゲンシュタインが「アスペクトの閃き」と表現するこの体験に関する考察から導かれる哲学とは?

さまざまに断片を積み重ねながら、思索を深めていく最晩年のウィトゲンシュタインを味わうため、詳細な訳注と用語解説を付して、読者をより深い理解へと誘う決定版!

まさに、珠玉の哲学が、ここにある!

第1巻
 MS137?MS138
第2巻
 MS169(1949年頃)
 MS170(1949年頃)
 MS171(1949年または50年)
 MS173(1950年)
 MS174(1950年)
 MS176(1951年)


ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン[ルートウィヒ ウィトゲンシュタイン]
著・文・その他

古田 徹也[フルタ テツヤ]
翻訳

内容説明

ウィトゲンシュタイン最晩年の思考。待望の本邦初訳!他人が「痛みを感じている」ことと「痛い振りをしている」こと―言語、心、知覚、意味、数学など終生を貫くテーマが凝縮された注目の遺稿集!詳細な訳註と用語解説を付す。

目次

第1巻(MS137~MS138(一九四八~四九年))
第2巻(MS169(一九四九年頃)
MS170(一九四九年頃)
MS171(一九四九年または五〇年)
MS173(一九五〇年)
MS174(一九五〇年)
MS176(一九五一年))

著者等紹介

ウィトゲンシュタイン,ルートウィヒ[ウィトゲンシュタイン,ルートウィヒ] [Wittgenstein,Ludwig]
1889‐1951。オーストリアのウィーンに生まれる。1911年、ケンブリッジ大学トリニティ校にバートランド・ラッセルを訪ね、その哲学的才能を認められた。以来、彼の生涯は終生、哲学的思考に捧げられた。1914年、志願兵として第一次世界大戦に参加し、最前線の戦闘を経験。1922年、生前に出版された唯一の哲学書『論理哲学論考』を、ラッセルの序文を付して刊行。その後、小学校教師を経て、ケンブリッジ大学に復帰。1945年頃、後期の代表作となる『哲学探究』第一部の最終版を作成

古田徹也[フルタテツヤ]
1979年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。現在、新潟大学准教授。専攻は、哲学・倫理学。「言語」「心」「行為」を手がかりに研究を進める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

やいっち

10
本書においては、思考の結果が論述されているのではなく、思考そのもの、試行錯誤そのものがホットなままに提供されている。  彼の本に、卒なく要約されるような、何等かの説を求めるのは不毛だし、見当違いだろう。 そうではなく、何かこだわったテーマをとことん探求する、そのプロセスそのものをこそ、思考する厳しさと真剣さそのものを体験すべきなのだ。 哲学思想(説)を学ぶのではなく、哲学する厳しさを体験すること。 2016/10/05

Amano Ryota

6
「哲学的問題を解決することを望まないなら、ーーそれに取り組むことをなぜやめないのか。実際、それを解決することは、自分の立場を、従来の考え方を、変えることを意味する。変えることを望まないのなら、君はその問題は解決不能と考えるべきなのだ。」思考の断片、探求の痕跡。ウィトゲンシュタインの探求内容を理解することは出来なかった。だけど、自分の哲学的問題を人生の最後の瞬間まで探求し続けた先人がいたことに感動を覚える。ぼくにはこの風景を見ることの出来る能力はないと思う。この真摯さに憧れて、出来ることをするしかないんだ。2016/10/18

Z

5
かったらアスペクトは意識されないだろう。対象が複数の対象になりうるときアスペクトというものが意識される。アスペクトが意識されない状態を無アスペクト状態と呼ぼう。無アスペクトというのはその人にとってであって、誰かが絵をウサギの絵だといえば、私は彼をウサギのアスペクトで見てるということができる。【見る】ここで何を描いているか自明なものを見る「~を見る」のと、アスペクトを移行させながら「~として見る」というのを区別する。緑色を見ることを「緑色をみる」とはいっても「緑色として見る」ということは通常はない。なぜ緑色2021/09/30

Z

4
単に単語を説明するなら単語と意味の関係は無時間的である。通常会話がスムーズに流れるのら私たちは意味の体験なるものを常に個々の単語でしているわけではない。【トーン】「いいね」が「すごくいいね」を意味するようなトーンや振る舞いを考えよう。ケーキを買ってきて「やったー」と子供が小躍りしていたら、ケーキを買ってきたことを「すごくいい」と思っているだろう。しかしその子供が実際に「良かった」と言葉にして思っているわけではない。もしある人が「すごくいいね」と思っていてもぶっきらぼうにそう言ったなら振る舞いを訂正されるだ2021/11/10

Z

4
ると①単語を理解することと②言表行為を理解することとパラレルである。後者は比喩の使用やある状況での発言の意味を捉えることが当てはまる。①「いいねがgood」だということが②「very good」であったり「not bad」の意味しうるベースになっている【感じ】「いいね」が様々な程度で言われること。それは「感じ」を表す表現すべてに当てはまる。しかし例えば「美味しい」という表現で「不味くはない」を意味しても「かわいい」ということを表すことは通例ない。であれば程度の理解は①の単語を理解することとは関係がない。 2021/10/23

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