出版社内容情報
技術の進化と事故の教訓から学び、最も安全な乗り物になった航空機。しかし一方で新たな危険が。技術者の視点で語る航空機事故。「小林忍ほど事故と安全について現場経験が豊かで専門的知識が深く、全体を見る視野も広い人物は少ない。3.11以後の今、この本は安全な社会づくりへの教典となるだろう」──柳田邦男氏(ノンフィクション作家)。
日本航空で長年、技術・安全分野の責任者として活躍した著者が、航空機の事故と安全について、最新技術、法律との関係、経営との関係、社会との関わり、他の産業との比較など、さまざまな視点から探る。現代の巨大技術、システムが詰め込まれた航空機の事故研究決定版。
第1章 代表的な航空事故例
生みの苦しみ──1954年、コメット機(イギリス)
予測できた事故──1974年、トルコ航空DC10(パリ)
会話の脆弱さ──1977年、KLM747とPanAm747(テネリフェ)
改善と改悪は紙一重──1979年、アメリカン航空DC10(オヘヤ空港)
最悪の単純ミス──1985年、日本航空747(御巣鷹山)
裏目に出た威信──1986年、スペースシャトル・チャレンジャー(ケネディ宇宙センター)
経年化と整備──1988年、アロハ航空737(マウイ)
相反する設計要件──1992年、エル・アル航空747(スキポール空港)
人と機械のせめぎ合い──1994年、中華航空エアバス(名古屋空港)
コンピュータ依存──1995年、アメリカン航空757(カリ)
規制緩和の落とし穴──1996年、バリュージェット航空DC9(マイアミ空港)
見えない傍流作業──1999年、JCO臨界事故(東海村)
第2章 法と安全
法は安全にどう貢献してきたか
原因追究と責任追及
ヒューマンエラーと責任
罪の文化、恥の文化
社会の納得感
委託化は品質の低下を招くのか
第3章 複合事故
複雑化システムゆえの問題
会話の脆弱さ
機械と人間の相反
機械で人間の仕事がなくなる
航空機は最先端技術の塊か
部分最適と全体最適
予兆のない事故はない
ハードからソフトへ
想定外事故はなぜ起きる
逆転の発想
第4章 経営と安全
マニュアル遵守とマニュアル偏重
文化の隔たり
マニュアル逸脱とマニュアル膨張
マニュアルの「品格」
経営の役割と責任
安全担当者の役割
経営と現場
安全は見えない
技術継承
安全と組織行動
第5章 社会、メディア、利用者
便利な社会
過度の要求は安全に貢献しない
マスコミ、社会、利用者とともに考える
マスコミとの意見交換
第6章 他業種とのベンチマーク
鉄道
医療
原子力発電
航空と原発
小林 忍[コバヤシ シノブ]
著・文・その他
内容説明
「事故当時、私は米国西海岸のワシントン州シアトルにあるボーイング社でJALからの研修生として機体構造強度計算部門で働いていた。(中略)1985年8月12日は月曜日だった。いつものように、朝6時ごろ起き、テレビのスイッチをひねった。すると突然画面いっぱいに「鶴」のマークが現れてきた―」航空技術者として、また安全の責任者として長年現場で格闘してきた著者が語る、技術と社会、技術と人間の接点で起こっている真実。
目次
第1章 代表的な航空事故例(生みの苦しみ―1954年、コメット機(イギリス)
事故調査で先鞭をつける ほか)
第2章 法と安全(法は安全にどう貢献してきたか;原因追究と責任追及 ほか)
第3章 複合事故(複雑化システムゆえの問題;会話伝達の限界 ほか)
第4章 経営と安全(マニュアル遵守とマニュアル偏重;文化の隔たり ほか)
第5章 社会、メディア、利用者(便利な社会;社会の縮図 ほか)
第6章 他業種とのベンチマーク(利用者から見る航空安全;鉄道 ほか)
著者等紹介
小林忍[コバヤシシノブ]
1949年新潟県生まれ。大阪大学工学部機械工学科卒業後、日本航空入社。ボーイング社に出向し機体構造設計などに従事。成田整備工場副工場長、運航技術部長、総合安全推進室室長、執行役員・社長総括安全補佐などを経て、JALエアロ・コンサルティング会長代行。2007~2012年「危険学プロジェクト・航空安全グループ」グループ長。2012年より「危険学プロジェクト・ベンチマークグループ」グループ長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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