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内容説明
戦局は日ごとに厳しさを増し、制海権、制空権ともに失った日本軍は、増援の手段もなく南海諸島に孤立した。ここ硫黄島でも酷烈な地熱と悪臭に耐えて、栗林中将以下23,000の将兵が息を殺して敵襲を待つ。もはや千に一つの生還も期しがたく、あるは絶対死のみ。中将はついに王砕の決意を大本営に打電した。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
イプシロン
19
硫黄島、沖縄・慶良間列島戦、戦艦大和海上特攻が綴られてゆく。もはや現場に配慮できる上層部はほぼ皆無という状況。誰もが我が身かわいさに戦力を出し惜しみ、差し出しを拒否する。そうした中で沖縄は32軍から1個師団を引き抜かれる。こうした辺りに内戦やむなき状況まできてしまったということを伺う筆者の目は鋭い。特攻につぐ特攻、陸海航空機、桜花(ロケット機)、マル八(特攻艇)。そのマル八基地のあったのが慶良間である……。硫黄島の戦いは文句のつけようがない。戦は人なりということがわかる栗林忠道にただただ合掌するばかりだ。2015/10/07
タッキー
7
この巻は、硫黄島の戦いから。ここが占領されると、いよいよ本土まで爆撃機が来れてしまうということで、必死の防戦。しかし、ここでも2万人以上の人が死ぬことに。沖縄での決戦に向けて、徐々に民間人にまで被害が出始め、特に沖縄では、小学生までが戦闘員にさせられることに。現場では負けると思っていながら、突撃して死ぬことを主張するのが正しいのか、冷静に退いて生きることを取るのが正しいのかさえ、誰も分からなくなるような極限の戦争状態の悲劇を、改めて痛感させられる巻でした。2023/04/15
鈴木貴博
4
硫黄島戦の顛末、沖縄戦前の様々な齟齬、そして慶良間諸島戦から沖縄本島の戦いの開始。筆者は大本営の命令で栗林忠道大将の伝記を書くための取材を行い、また鹿屋基地で過ごし沖縄方面に特攻出撃する若者と接し、見送っており、直接の経験、関係者直前取材が特に生かされた巻といえるか。刊行された昭和四十年代には既にわかりにくくなっていた、当時の日本人の精神状態、海軍と陸軍の発想の違いとその背景などを述べた部分は眼から鱗で、先の戦争のみならず近代史全般への理解が深まる。2021/06/21
オチョモコ
3
ここまでくると陰鬱も極致に達す。勝利など一縷の望みすらなく玉砕につぐ玉砕だけに。道なき道を何百キロも履く靴すらなく食べるものもなく裸足で歩き続ける行軍。マラリアや赤痢に侵され高熱でフラフラになりながらの交戦そして突撃。満足な補給など一切望めぬ時給自活の戦い。作戦中断、孤立無援はもはや常態化。大本営との密な折衝など皆無、現場無視の突然の作戦変更命令。爆雷を抱えて特攻するは空だけでなく舟でも歩兵でもだ。沖縄では少年少女すら貴重な戦力。本土で誰がどれだけのことを知ってたのか。それでもまだ国民は勝利を信じていた。2021/06/03
Terry Knoll
3
昭和20年3月硫黄島守備隊玉砕 守備隊司令官 栗林中将が書いた家族への手紙を、読むとこみ上げるものがあります。 4月 米軍沖縄上陸開始。 軍部の中には、この時点で敗戦決定とみた人もいたが、とても提案できる状況ではない。 本土決戦の準備を進めています。 「戦争を終わらせる方が始めるよりはるかにむずかしい」と言われています。 せめて民間人だけでも、降伏・投降できなかったか?時代背景がまったく違いますからね。 終戦までには日米双方の犠牲がまだまだ増えます。 2012/06/13