内容説明
あの世とこの世、生と死、村の内外などを分かつ境界は、今や曖昧となり、かつて自明であった死後の世界も消え、魔性のモノが跳梁跋扈する空間も喪失してしまった。葬送儀礼の場で鎮魂の挽歌を吟じた柿本氏、平家の怨霊を慰藉鎮撫する役を担った琵琶法師…。本書は、私たちの文化や歴史の昏がりに埋もれた境界の風景や人々を発生的に掘り起こした意欲的論考である。
目次
境界/生と死の風景をあるく
境界観念の古層その他
交通の古代―チマタをめぐる幾つかの考察
琵琶法師または堺の神の司祭者
杖と境界をめぐる風景
人身御供譚の構造
起源としての異人論
穢れの精神史
著者等紹介
赤坂憲雄[アカサカノリオ]
1953年、東京生まれ。東京大学文学部卒業。民俗学専攻。東北芸術工科大学教授
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感想・レビュー
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獺祭魚の食客@鯨鯢
25
人間の生きる世界と異界との境は魔物が住むと考えられていました。「境=さかい=坂い」でもあり、山頂や峠がそのメルクマールでした。村の内と外を分離するために石塔を建て、穢れ(異人)が村へ入り込まないないようにしました。 イザナミが黄泉の世界から穢れを持ち込まないように大岩で塞ぐことなどの話からも「境」を設定することにより死後の世界と峻別されたとともに、穢れを忌み嫌う精神風土が形成されていったと思います。2019/03/16
佐倉
17
村、身体、生死といった様々な境界について古代〜中世を中心に論じていく。境は異界と通じる場所…と民俗学では語られるが、その心象はどのように展開してきたのか。印象的だったのは市場とそれが開かれる岐を論じる『交通の古代』。古代において多くの人が交わる場はそれだけで珍しい異界となったのだろう。市と虹と龍と雨との関係性、采女との姦通を犯した歯田根命が賠償品を市に晒してから天皇に納める例、贖う/買う、祓う/払うの共通点など市が一種の呪術だった時代を論じていて面白い。多く引用されていた勝俣鎮夫の論も読んでみたくなった。2025/02/01
N島
15
世界の根元を境界という概念から解き明かそうとする意欲的な一冊。古の境界を柳田~折口~西郷等の偉大なる先達をガイドに練り歩けば、巷には世界の秘密に至る扉がそこかしこに溢れている…そんな想いに浸れる一冊です。一読いただければ、古道、いつものジョギングコース、近所の散歩道など、ありふれた風景がまた違った意味合いをもって見えて来ると思います。読書がもたらす自身の感性の変化をリアルで感じることが出来る、ちょっと不思議な論文集です。2019/10/02
さとまる
8
生と死、聖と俗、此岸と彼岸など様々な境目について語られている。個人的には古代の穢れ(付着=祓い・禊で落とせる浄化できる)と中世の穢れ(内在=固定化、差別・疎外)の違いを論じた部分が興味深かった。2021/11/26
青沼ガラシャ
7
生と死、聖と賎、彼岸と此岸を行き来する存在や、その中間地点の風景を考察した内容。学術的な本だけど、滲み出る筆者のマージナルな存在への思い入れが胸を打つ。静かに熱い本だと思った。個人的には今村仁司の論を引き合いに出しながら西郷信綱の説に反論しつつ、自身の論を展開する「人身御供譚の構造」が刺激的で興味深かった。2023/05/14
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