内容説明
日本人は同じ言語・人種からなるという単一民族説にとらわれすぎていないか。本書は、日本列島の東と西に生きた人々の生活や文化に見られる差異が歴史にどんな作用を及ぼしてきたかを考察し、考古学をはじめ社会・民俗・文化人類等の諸学に拠りながら、通説化した日本史像を根本から見直した野心的な論考である。魅力的に中世像を提示して日本の歴史学界に新風を吹き込んだ網野史学の代表作の一つ。
目次
「ことば」と民俗―東と西の社会の相違
考古学からみた東と西
古代の東国と西国
東の将門、西の純友
源氏と平氏―東北・東国戦争と西海の制覇
東国国家と西国国家
荘園・公領の東と西
イエ的社会とムラ的社会
系図にみる東西〔ほか〕
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
チャーリブ
40
頼朝に関する本を読んで気になったことがひとつ。頼朝は生れは尾張だが、育ちは京都。14歳で伊豆に流されてそこで政子と結ばれて時政や義時と姻族となる。つまり頼朝は西国人であり、おそらく言葉も慣習も西国人のそれだったのだろう。本書は古代から日本の東西はかなり違う文化圏にあったという内容。たとえば、中世では東国はイエ的、家父長的、主従的であり、西国はムラ的、年齢階梯的、座的だったという。東国から来た地頭は西国では評判が悪かったようだ。戦いなら東だろう。頼朝は東国人になろうとしてなりきれなかったのではないか。○2022/05/06
James Hayashi
29
単一言語で単一民族の日本人であるが、東西日本で異なりがる事を資料から読み取っている。歴史は一つでなく色々な角度から読み取れば、異なる景色となることがわかる。2019/02/25
だまし売りNo
28
中世の日本は領家職や田所職など職の体系と言われる。「「職人」との関係を考慮に入れるならば、「職」は官僚制の官職よりも、職能と結びつけるほうが適当と思われる」(網野善彦『東と西の語る日本の歴史』講談社学術文庫、1998年、184頁)。ここでもジョブ型である。現代の日本型組織よりも中世日本の方がグローバルな民間感覚に通じていた。2022/10/10
さきん
27
日本の歴史というと、京都を中心として、江戸時代以降は江戸を中心として語られてきていたが、縄文時代から江戸時代までにおける東北、関東、北陸、中部、九州の文化文明は従来考えられてきたものよりも特異で際立っていたことを様々な学者の研究から紹介していく。大きく東と西に分けて説明するのは大雑把だが、東のイエ型、西の平等型、東は馬、西は船、東は地頭、西は荘園と大まかに分類して説明するのは説得力がある。また朝鮮、中国、渤海、アイヌ、ツングースと積極的に交易していたことも解説している。2018/03/18
こぽぞう☆
22
東に生れながら、王朝文学が好きで武家文化があまり好きではない私。西に目が向き過ぎていたようです。平将門以来脈々と続く東国国家の系譜。面白かったです。ただ文庫版ではなく元の本が書かれたのが1982年。そのせいでしょう、最新の知見、特に古代のそれがないのが残念。2016/06/26