内容説明
『探究1』で、独我論とは私にいえることが万人に妥当するかのように想定されているような思考であると指摘した著者は、『探究2』では「この私」を単独性として見る。単独性としての個体という問題は、もはや認識論的な構えの中では考察しえない。固有名や超越論的コギト、さらに世界宗教に至る各レベルにおいて、個(特殊性)―類(一般性)という回路に閉じこめられた既成の思考への全面的批判を展開する。
目次
第1部 固有名をめぐって(単独性と特殊性;固有名と歴史;名と言語;可能性と現実性;関係の偶然性)
第2部 超越論的動機をめぐって(精神の場所;神の証明;観念と表象;スピノザの幾何学;無限と歴史;受動性と意志;自然権;超越論的自己;超越論的動機)
第3部 世界宗教をめぐって(内在性と超越性;ユダヤ的なもの;思想の外部性;精神分析の他者;交通空間;無限と無限定;贈与と交換)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
chanvesa
27
「『他者』は、異者が実は内在的であるのに対して、外在的(超越的)である。それは超越者ということを意味するのではなく、いかなる意味でも(自己または共同体に対して異質であり)、後者の″疎外″や″理想化″として在るのではないということを意味している。…『他者』との交通には、一つの″飛躍″がともなう。(252頁)」社会が「身内」しかプレイヤーになれない言語ゲームに興じ、他者をはじき飛ばす傾向は揺るがない状況になっている。定量性への執着は、「無限の認識」である「『他者』の発見(335頁)」に対する忌避に通じるのか。2018/09/23
逆丸カツハ
24
米津玄師の「アイネクライネ」を『探究Ⅱ』(可能世界論)で解釈しました。 世界を渡るアイネクライネ https://note.com/kasamaru_hatsuka/n/n5249c00219f5?sub_rt=share_b これを思いついたから読み直していました。 うーん、色々と感慨深い。 深いところで影響を受けている。2025/04/20
ノブヲ
21
あれれ。「探究」とは他者を探し求める旅であり、てっきりそれは外部についての問題かと思っていたが、事態は急転、ヘアピンカーブをフルスロットルのまま回り込むようにして「自己」の問題へとすり替わる。つまり「私」についての問題へと。しかもそれは他の誰でもない「この私」についての問題意識である。主観と客観、内在と外在、有限と無限、それらについて鋭敏に論じられるが、その論点は、目まぐるしく入れ替わり続ける。そこには「痛み」がある。「哲学する」ことは分裂と統合の同時性であり、砕け散る自分を見つめることでもある。2024/07/24
34
12
ママ、このひとのスピノザ解釈ちょっと変!ヘーゲルおじさんに教えてあげなきゃ!2019/03/29
みのくま
10
本書は、國分功一郎「中動態の世界」や東浩紀「ゲンロン0観光客の哲学」のプロトタイプといえるのかもしれない。「探究Ⅰ」において独我論からの脱出、他者や外部を改めて定義し直した著者は、本書で内部と外部の「間」である「交通空間」に着目する。「交通=交換・コミュニケーション」を行う空間は砂漠=海=都市であり、東洋においては「道=理」である。そして、そもそも共同体(内部と外部の分割)が成立する以前から交通空間は存在した。そこでは交換と贈与(著者によれば贈与も交換の一形態)が行われると同時に、内部も外部も存在しない。2018/04/14
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