内容説明
「典座教訓」には、禅の修行道場における食を司る典座の職責の重要さが記され、この典座が調理してくれた食事を頂く修行僧の心得を示したのが「赴粥飯法」である。道元は、両者の基本にあるものこそ仏道修行そのものであると力説する。飽食時代といわれる昨今の食生活を省みるとき、本書のもつ現代的意義は大きく、多くの示唆に富む必読の書といえよう。食と仏法の平等一如を唱えた道元の食の倫理。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
kazuさん
16
典座教訓は、道元の著した典座に対する指南書。典座とは修行僧に食事を作り提供する作務を行う僧のことで、心を込めて修行として行う。米粒一つも疎かにせず、食材が上等であろうと粗末であろうと、丁寧に無駄なく調理しなさいと。道元は、典座の仕事を通じて、禅の教えを説いている。日本の家庭における昔からの食事作法は、典座教訓や赴粥飯法に大きく影響を受けていると感じた。テレビで間断なく放映されるグルメ番組や、年間2800万トンの食品廃棄のうちの年数百万トンの食品ロス報道を見ると、禅の世界とは大きく異なる事を痛感する。2021/09/06
rigmarole
14
印象度B。永平寺参禅を機に読み始めたもののすぐに挫折、その後地元で通っていた寺の坐禅会で『典座教訓』が取り上げられたので再び手に取り、半年以上かけて読了。漢文はほとんど読み飛ばしましたが、説明的な現代語訳と詳しい語義解説でかなり理解できた気がします。本書は食事を作る典座(てんぞ)の、また食事をいただく際の心構えや作法について論じていますが、行住坐臥、一挙手一投足のすべてが修行であり、仏法の実践であるということです。そして、あらゆる所作を効率的、適切かつ丁寧に、集中して心を込めて行うこと。これが要諦です。2021/05/14
零水亭
8
(20年位前に一度読んだきりですが、最近また読みたい本の一つです)若き日の宋への留学時代の赤っ恥も曝け出すところが道元禅師の素晴らしさかと思います。また、全体を通して「細かい日常作業の一つ一つも疎かにするなヨ」と道元禅師が語りかけてくれているようにも思います。 そういえば、臨済宗の大燈禅師の遺誡にも食事の話が少しだけ出て来ますネ
らい
8
細かな意識は気づけば疎かになっているので、料理に限らず意識できる自分でいたい。意識し続けて、多分それが日常において個人が為せる修行で、それを当たり前だと無意識レベルに刷り込んでいくというか。禅の成立過程とか全然知らなかったので、それも勉強になった。あとひとつひとつの語源がなるほどねえとたのしめた。2019/11/06
長岡紅蓮
6
道元禅師による教訓集。なかでも用典座の話が印象的だった。修行をすることだけが修行ではない。日々の暮らしのちょっとした行いでさえも修行になるのだ。2021/05/31