講談社現代新書<br> 私・今・そして神―開闢の哲学

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講談社現代新書
私・今・そして神―開闢の哲学

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  • サイズ 新書判/ページ数 223p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784061497450
  • NDC分類 104
  • Cコード C0210

出版社内容情報

古来より数多くの哲学者が最大の関心を寄せてきた「神、私、今」の問題について、まったく独自の考察を展開。私はなぜ「今ここにいる、この私」なのか。古来より数多くの哲学者が最大の関心を寄せてきた「神、私、今」の問題について、まったく独自の考察を展開。自分の言葉だけでとことん哲学する、永井均の新境地。(講談社現代新書)

第1章 開闢の神をめぐってたゆたう序章
第2章 ライプニッツ原理とカント原理
第3章 私的言語の必然性と不可能性


永井 均[ナガイ ヒトシ]
著・文・その他

目次

第1章 開闢の神をめぐってたゆたう序章(時間的閉所恐怖;全能の神も打ち破れない壁;五十センチ先世界創造説 ほか)
第2章 ライプニッツ原理とカント原理(ライプニッツのお勉強;何が見えていようと見ているのはつねに私だ;現実世界とは私がいま存在する世界のことである ほか)
第3章 私的言語の必然性と不可能性(同じ新聞をいくつも読みくらべるとは?;みんな一緒の混沌とひとりだけの秩序;他者の言葉が理解できるためには過去の自分の言葉が理解できていなければならない ほか)

著者等紹介

永井均[ナガイヒトシ]
1951年生まれ。慶応義塾大学文学部卒業。同大学院文学研究科博士課程単位取得。現在、千葉大学教授。専攻は、哲学・倫理学
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

ころこ

38
前回読んだ時と比べて、2、3章の印象が大分違います。よく理解していなかったということでしょう。「私=今」の意味は、共に開闢の原点として考えると分かりやすいです。著者が「私」と同じ重要性で「今」について考察する意味が分からないですし、マクタガートの議論にもついていけません。ライプニッツ原理=理由律、カント原理=因果律のことだと整理できると少し闇が開けてきます。2章まではライプニッツ原理が優勢ですが、3章に入りなぜか〈私〉性が伝わってしまうところでウィトゲンシュタイン的言語論からカント原理につなげています。2019/12/08

へくとぱすかる

35
3年ぶりの再読。「今」についての論が記憶に残っていたが、読み返してみると、私、そして世界についての記述がほとんど。マクタガートの時間論を最近読んでいたので、A系列・B系列についての論は、実によくわかる説明に感じられた。私・世界・神も、実は同じ問題の角度を変えたものだという議論は、実にスリリングである。しかしこれを今後どのように展開したらいいのだろう?2017/03/19

へくとぱすかる

35
10年前の本とはいえ、中身は古びない。哲学とはそういうものだろう。世界は自分を特異点として開けているのだが、自分も世界の一部として客体となっているために、世界が開けているのはなぜかということがわからなくなる。これが開闢が世界に組み込まれる、最初から存在したものとして、世界の一部になって化けるということだろう。私が存在することは奇跡としか言いようがない。2014/03/08

SOHSA

33
ライプニッツ、カント、ウィトゲンシュタインを中心に永井哲学を展開する。開闢のくだりは非常にイメージしやすくわかりやすい。しかし、一転して私的言語に関する言説はなかなか理解しにくい。私、今、神については一応理解はできた。されど、そうであるならば私が言う「われわれ」とは何か。疑問は尽きない。再読、再再読の要あり。それだからこそ永井均は面白い。2014/12/02

ころこ

27
全ての始まりであって位置を持たないはずの開闢の奇跡が、その内部に存在するはずの物事の基準が適用されて、その位置を持たないとそもそも認識できないことになるということを考察しています。この開闢は、<私>とか<今>と同じ意味ですが、身体との対比では<心>、死との対比では<生>という意味にもなります。開闢それ自体が、その後に生じたものに取り込まれる。その根源的なものの消去によって、我々の現実はかえってつくられている(表象)という不思議を感じることができるかどうかに掛かっています。では、なぜ我々は、それを根拠づける2018/10/19

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