内容説明
カントやヘーゲルが哲学を完成したのではない。近代哲学とはデカルトの到達した高みからすべり落ちる歴史だった。戦争、宗教、あるいは病いなど今日的課題に答えうる「哲学の王道」を読み直す。
目次
序章 思想を捨てる
第1章 離脱道徳―精神的生活と世俗的生活
第2章 懐疑―世俗的生活からの脱落
第3章 死にゆく者の独我論
第4章 哲学者の神
第5章 最高善と共通善―宗教の可能性
第6章 賢者の現存―善く生きること
終章 魂の不死、私の死
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
うぃっくす
11
前半けっこう面白くて自分の精神的欲望を重視するがやりたくないことが不可避ならその欲望を捨てよ、っていうの、おおーってなったのに後半の方で公事に関与する根拠を明晰判明するべき、みたいなことを言っていて、明晰判明した結果欲望を捨てて公事をこなすマシーンになったのでは?とか気になった。割と広く物事を受け入れたりしてて優しい感じなんだけど途中何度かカントへの文句があるのは面白かったね。哲学で頻出の善い生き方、難しい。それぞれ前提が違ったりするからなおさら。結局哲学はそれぞれの心持ち次第ですな2024/07/17
フリウリ
7
著者の社会や常識への怒りを背景に、デカルトを手がかりに倫理を考えていくのだけれど、ピンときません。最後まで来て、ドゥルーズが専門の小泉氏が本書を書いた一つの理由は、ドゥルーズの自死をめぐる気持ちの整理であったように読め、「ドゥルーズは必然を徳となしたデカルト的賢者であった」と述べられていますが、一人の人間がいかに生き、死んでいくかは個人的な事柄でもあって、無理くり倫理的な言説へと仕立てなくてもいいんじゃないか、と「非倫理的な読み手」は考えます。デカルトを読み直す気にならなかったのは残念。42025/02/23
yukihirocks
5
近代哲学の祖と形容されるだけあって、哲学が取り扱う内容の全体を大まかに素描しているとは感じた。デカルト的な生き方の貫徹は困難だろうけど、明晰に思考・判断することによって盲目的な姿勢を回避することはできるかもしれない。「哲学者が昔から問い求めてきた善い生き方とは、良い生き方でも正しい生き方でもないのである」「それが世俗的生活のスタイルであるからには、決して過誤や罪を免れることはできないからである」所有の快楽ではなくて、享受する快楽こそが善である。喜ばしく生きろ!……その通りだとは思うが、その自然もまた眉唾。2025/02/25
mori-ful
3
小泉義之『デカルト=哲学のすすめ』によれば、社会実在論者であるロックは、国家間戦争においては、兵士は上官に対し絶対的服従義務がある。しかし、上官といえども兵士に貨幣や財産を寄越せと命令する権能はないと。「国家において兵士の生命は没収されうるが、戦争においても財産権だけは神聖にして不可侵であるというわけである」39頁。すごい。2024/11/23
isao_key
3
プラトンにとって哲学とは死ぬことのレッスンであった。これに対してデカルトにとって哲学とは死ぬことと生れることのレッスンであったとある。そこからデカルトが<私は存在する>という言明によって言い当てようとした真実とは、死にゆく者が徹底的に独りで生きているということであるし、死にゆく者が共同性や社会性から完全に離脱しているということである。また「人間にとっての善」が何であるか、それを享受するにはどうするかについては、喜びによって決められるという。喜ばしく生きることは、楽しく生きることとも言い換えられるとある。2014/10/05