出版社内容情報
「妖怪博士」と呼ばれた哲学者がいた!
狐憑きなどの怪現象が頻発していた明治時代。哲学者の井上圓了は、それらに合理的な道筋をつけることが哲学普及につながると、奔走。哲学館を開学して「妖怪学」の講義を行い、膨大な怪異談を収集した。初の評伝!
内容説明
明治時代、人々は狐憑きやコックリさんなどの怪現象に右往左往していた。若き哲学者の井上圓了は、それらに合理的な道筋をつけることこそが哲学普及につながると信じて奔走。柳田國男からは見地の違いから「井上圓了君には徹頭徹尾反対」と言われながらも、開学した「哲学館」(現東洋大学)で「妖怪学」の講義を行い、日本各地で膨大な怪異談を収集した。妖怪学者であり、哲学者、宗教改革者であった隠れた偉人、初の評伝。
目次
プロローグ 一枚の写真からはじまる
第1章 哲学者圓了―越後長岡、寺育ち
第2章 妖怪学者圓了―迷信撲滅をめざして
第3章 続妖怪学者圓了―宿敵勢揃い
第4章 宗教改革者圓了―寺院なくして信仰ありや
エピローグ 一枚の写真で終わる
著者等紹介
菊地章太[キクチノリタカ]
1959年、横浜市生まれ。筑波大学卒業後、フランス・トゥールーズ神学大学高等研究院留学。現在、東洋大学教授。文学博士。比較宗教史専攻(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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KAZOO
130
妖怪学の研究家で哲学者ということはかなり昔から知っていました。小学生の頃に近くの哲学堂公園というところに何度も遊びにというよりも何か怖いもの見たさに行っていたものです。その井上の生涯を今までほとんど知らなかったこの人物を描いてくれます。いまの東洋大学の基礎を気づいたということも知っていましたが結構波乱万丈の生涯を送ったようですね。柳田國男はあまり評価しなかったようですが。2016/09/17
スプリント
7
妖怪博士として有名な井上圓了氏。妖怪に対するスタンスが柳田國男氏と異なることが書かれています。小泉八雲との交流についても書かれています。2017/12/17
エヌ氏の部屋でノックの音が・・・
7
図書館本。 「つまりは妖怪を恐れたりしないことが、みずからものを考えるいとなみとしての哲学の第一歩ではないか。」ちょっと『学問のすすめ』が入っています。 哲学館には老若男女が詰め掛けたそうですから、この時代には凄いことだと思います。(実業科目中心で、まだ女に学問なぞ不要と思われていた時代でしょ。) 円了先生の視察出張中は清沢満之が代講していた!なるほど清沢満之と円了が繋がっていれば『歎異抄』を大衆化したことにもうなずける。2016/09/04
krnkn-fa
4
郷土が生んだ偉人。人材教育を重視した旧長岡藩の気風も受け継いでいるか。時代が変わり、それまでの価値観もがらがらと崩れたであろうときに、颯爽と登場したヒーローみたい。実際に、全国各地で市民から親しまれていたみたいだし、行動力もすごい。京極小説の主人公と重ね合わせた箇所に納得。「この世に不思議なことなどなにもない」ー。井上円了にも言われてみたい。2013/07/18
かえる
4
子供の頃から哲学堂公園で遊び、不思議な名前のついた建物や庭園に親しんできた。 井桁の上に円を乗せた墓石も何度となく見ていた。 円了先生は私たちには馴染みの人物だったが、本当の姿はよく知らなかったので、読んでみた。 妖怪博士などと呼ばれているが、実際は逆で、妖怪と言う名の迷信からなる無知に、真理の光を当てようとした理性の人だった。 柳田國男からは糞味噌言われてたのね(笑)2013/05/21