角川選書
死者の救済史―供養と憑依の宗教学

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  • サイズ B6判/ページ数 266p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784047033542
  • NDC分類 162.1
  • Cコード C0395

内容説明

死者の想いをどのように受けとめ、どう対処していくかという問題は、我々にとって切実な課題である。死者となった祖先は生者を見守っていると考える一方で、怨念や羨望に苦しむ死者は、生者に不幸をもたらすとも考えられてきた。死者が安らかな存在に昇華すれば、死者と生者は共に救われる。民衆宗教史の大きなテーマに対して、日本仏教の土着化に新たな視点を提示、日本人の宗教観を明らかにする。

目次

第1章 苦しむ死者と日本の民衆宗教
第2章 仏教説話集に見る死者の救済
第3章 供養システムの深化と定着
第4章 比較死者供養論にむけて
第5章 憑依再考
第6章 仏僧と憑依
第7章 憑依から供養へ

著者等紹介

池上良正[イケガミヨシマサ]
1949年、長野県生まれ。東北大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。宮城学院女子大学、弘前大学、筑波大学などの教職を経て、1999年より駒沢大学文学部教授。博士(文学)。専門は宗教学
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感想・レビュー

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耳クソ

20
古来の個々の事例に方法が委ねられる死者主体の「〈祟りー祀り/穢れー祓い〉」システムが、仏教信仰以来の普遍的な生者主体の「〈供養/調伏〉システム」と共存し個々の事例に融通する。キリスト教が(中世カトリック社会を除き)絶対的なシステムによってすべての事例を処理していくのに対し、日本では生者が苦しむ死者を安らかな死者にするという合理化された救済が大衆まで浸透する──と。この生者による強い死者から弱く供養されるべき死者としての合理化は、権力が自分に都合の良い社会を作る上で必要不可欠であり、やはりクソだと思った。2021/12/26

佐倉

16
日本の信仰は死者をどのように扱ってきたか?苦しむ死者を安らかに眠る死者へ変える、という流れを中心に〈祟りー祀り/穢れー祓い〉と仏教によって齎された〈供養/調伏〉の関係性を考えていく。前者は共同体に依存したものだったが、後者は普遍的な仏教の教義に則っている。そのため却って死者を弔う行為がより個人的な形へ変わっていった、とする。祀るものから追善回向によって主体的に供養出来る存在への変遷。まさに百物語が例として引かれるが、畏れるものから楽しむものへ、という怪異の俗化につながる視点かも知れない。2023/10/03

bapaksejahtera

16
供養冥福への取りなし等「個々の死者との取引」というキーで日本人の仏教受容の歴史を推論・系統付けする。日本の古来の宗教行動は必ずしも明確ではない。劣位の死者は穢れとして処理し、上位者や政敵の荒ぶる死霊を鎮める財力を持ち得た貴族階級は別として、一般人民が身内の死者を鳥辺野に捨て置くような事ができた筈もない。そこで仏教は本来釈迦の教えとは異なった宗教的潜在ニーズに対応し個々の死後の救済サービス提供で教線を拡大した。かかる個々の死者への取りなしは、世界宗教とは言え形を変えて対応している、という論述も妥当である。 2023/02/23

たらら

2
著者の専門分野はおそらく5章以降、憑依の問題だが、その前段としての供養システムの成立過程がすこぶる面白い。「祟り/祀り」という個別取引のシステムがいかに「供養/調伏」という「善導」システムにすり替えられていったか。前者が死者を位置づけることで生者システムの安寧をはかろうとしたのに対し、後者は善なるものに従わせることで死者の排除をはかる。イデオロギーはこの二つのシステムを巧みに使い分けていることがよくわかる。また煉獄という天国/地獄の中間的な場というアイデアは面白い。比較煉獄論はもっと突っ込んでほしかった。2010/06/07

tkm66

0
結構集中力を必要とする。近現代では説明しきれない・「??何を言っているんだ?」ってな話ですからね!2007/08/07

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