角川選書
稲の日本史

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  • サイズ B6判/ページ数 197p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784047033375
  • NDC分類 616.2
  • Cコード C0395

出版社内容情報

稲作は、弥生時代に始まったのでもなければ、渡来人によってもたらされたわけでもなかった。植物遺伝学の立場から、「縄文稲作」の実態に迫る!

内容説明

縄文遺跡から次々に見つかるイネの痕跡は、この時代、現代の水稲(温帯ジャポニカ)とは異なる熱帯ジャポニカの稲作が、多様性溢れる方法で営まれていたことを物語る。弥生時代に水稲が渡来した後も、水田稲作は一気には普及しなかった。日本人が稲作にもつ「見渡す限りの水田」というイメージは、近世以降推し進められた画一化の結果であることを明らかにし、縄文稲作の多様性がもつ意味を、今日的な視点でとらえなおす。

目次

第1章 イネはいつから日本列島にあったか(先人の足跡を追う;縄文稲作を追い求めて ほか)
第2章 イネと稲作からみた弥生時代(話があわない;水田は急速に広まったか ほか)
第3章 水稲と水田稲作はどう広まったか(熱帯ジャポニカの衰亡;熱帯ジャポニカはなぜなくなったか ほか)
第4章 イネと日本人―終章(弥生の要素からの呪縛;呪縛からの解放)

著者等紹介

佐藤洋一郎[サトウヨウイチロウ]
1952年和歌山県生まれ。1977年京都大学農学部卒業。1979年同大学大学院農学研究科修士課程修了。農学博士。国立遺伝学研究所助手を経て、1994年より静岡大学農学部助教授。専攻は植物遺伝学。イネの「アッサム・雲南起源説」を否定し「ジャポニカ長江起源説」を発表
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

榊原 香織

90
知的な好奇心を満足させてくれる良書。 従来の考えとはずいぶん違う。 縄文と弥生にはそんなに差があるわけじゃない、今風の水田は高々この100年くらい、とか、目からうろこが沢山落ちました。 静岡大学農学部の教授だった方。 DNA解析(なんとPCR検査!)で、理系から考古学を読み解く。2021/01/03

翔亀

54
日本人が稲に対して持っているイメージの常識を覆す快著。狩猟採取の縄文人の日本列島に、弥生人が朝鮮半島から渡来・征服して水田稲作の日本国を造った、というのが一般的な理解だろう。柳田国男はこれに異を唱え、沖縄・宮古島から「海上の道」を辿り、最初から稲を携えて列島にやってきたのが日本人の起源だとした。両者はしかし水田が広がる日本の原風景が以来続いている、という点は共通している。「海上の道」は考古学的に沖縄に古い水田遺跡は見つからず否定されてきた。一方、近年縄文遺跡から次々見つかる稲は何を意味するか諸説乱立して↓2017/02/06

こぽぞう☆

13
図書館本。縄文時代の陸稲の栽培は確かとしても、その畑は遺跡として残らない。ので、水田が始まった弥生時代から稲の栽培が始まった長い間信じられてきた。その水田も、かなりの部分が休耕田だったり放棄されたものだったり。熱帯ジャポニカもかなり最近まで残っていたらしい。一面の水田という光景は江戸時代初期前後から。2017/05/20

印度 洋一郎

5
農学の視点から、日本の稲作史を見つめていると定説は疑問だらけになる。縄文時代にも稲作(多分焼畑稲作)があった、弥生時代になっても水田稲作はそれほど広まらなかった、古代から近世まで日本の農村は休耕田だらけ、今のような水田広がる農村風景は江戸中期以降のもの、などなど「瑞穂の国日本」が、実は妄想に過ぎない事をデータで明らかにしていく。弥生時代から江戸時代まで日本の水田の生産力はほとんど変わっていないらしいし、近代以前の無農薬農業ではとても今のような規模の耕作地を維持出来なかった。面白いけど、反発も多そうな本だ。2013/03/26

takao

0
縄文米や一部の弥生米は熱帯ジャポニカ2016/08/09

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