内容説明
千利休の師は通説にいう武野紹鴎ではなく、辻玄哉であり、そもそも紹鴎はわび茶を行っていなかった―『山上宗二記』によって利休の事跡を丹念に探り、『南方録』起源の通説の虚構を排することで浮かび上がってきたのは、この新事実だった。利休が大成した脱俗のわび茶は、自身が若い頃から貫いてきた「運び点前」によることを初めて明らかにし、新たな利休像を提示するとともに茶の湯文化史を大きく塗り替えた衝撃の書。
目次
第1章 虚構のなかの利休(はじめに;『南方録』と『山上宗二記』)
第2章 辻玄哉の弟子だった利休(武野紹鴎と「わび」;利休の師はだれか;抹殺された辻玄哉)
第3章 誤解されていた利休の茶の湯(利休茶会の記録;運び点前の創案;利休と唐物)
第4章 茶室待庵はなぜつくられたか(利休以前の茶室;待庵と利休)
第5章 利休にとっての茶祖珠光(珠光の実像;珠光と利休)
著者等紹介
神津朝夫[コウズアサオ]
1953年生まれ。早稲田大学卒業。帝塚山大学大学院博士後期課程修了。博士(学術)。日本文化史・茶道史専攻(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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アメヲトコ
6
2005年刊、14年文庫化。茶道史で語られる将軍の茶→珠光→紹鷗→利休という系譜に疑問を呈し、紹鷗と利休の異質性を指摘、辻玄哉という忘れられた真の師匠を浮き彫りにします。現代の茶道の在り方から遡及しがちな茶道史への問題提起は重要と思いますが、第四章の茶室の復元的考察はやや強引な気も。2022/05/31
MICKE
6
「侘数寄」とは、本来経済的に貧しい茶人という意味、そうか、そこを利休はやりたかったんだ、胸の覚悟、作分(新たな発想)、手柄(点前の見事さ)によって新しい茶の湯を作り出すもの、それが「侘数寄」なんだと。やはり利休はすごいな。2015/02/23
ガオシャン
3
時の権力者に自ら近づく野心家がその態度とは真逆の侘び茶を大成したわけですが、対立するように思われるそれらをどう両立させたのか、自分はどうなりたかったのか、密かな大義があったのか、茶の湯のことはどうにかしたいと思ってたのか思ってなかったのか、利休という人について知りたかったんですがそういうことはほとんど書かれてなかった。初心者の読む本じゃなかった。定説が間違っているかもしれないことと茶道の変遷はわかった。タイトル「利休の師匠は紹鴎じゃない」とかの方がよかったんじゃないですか。2025/03/03
なをみん
3
かなり遅ればせながら読んでいろいろとスッキリしました。茶道関係は古い定番本で色々と読んでたつもりだったけど『南方録』とか紹鴎については「と、いわれている」でなんとなく信じちゃってたけど間違ってたみたいです。コレ、読んでなきゃダメな本だったかも。禅宗以外の宗派との関係も疑問だったし、運び手前もやっぱり!って感じで納得。2023/04/28
wasserbaron
3
千利休の「侘茶」の系譜について、南方録や山上宗二記など後世の資料の検証や利休の師と言われた武野紹鴎との否定しがたい相違を通して再検討を行っている力作。後世に創作された利休神話を一つずつ否定し、その原点を村田珠光による隠棲僧の茶の湯に求め、武士や豪商による名物好みの風潮の中で「侘茶」を求め続けた利休の姿を追う推理小説の趣があった。茶の湯と法華宗の関わり、待庵が二畳で建てられた理由など、巷で言われる茶の湯の常識を覆す事実が興味深い。なお、堺の豪商たちが軒並み名の知れた茶人なのは壮観。2021/07/18